ゴーン氏の高額報酬は「品がない」
日産自動車のカルロス・ゴーン前会長の逮捕が話題をさらっています。巨額の「隠れ報酬」が注目されていますが、推定無罪の段階でそれを論じるのは適当でないでしょう。それに、公式ベースだけでも、ゴーン氏の報酬は十分桁外れでした。2017年度の役員報酬は日産自動車および三菱自動車から9億5700万円、仏ルノーから約9億6200万円の報酬を得ています。
仏政府は従来からゴーン氏の高額報酬を批判していました。逮捕直後、ネット上には真偽不明の批判も流れましたが、「さもありなん」と思うほどゴーン氏の報酬への悪評は社内外で高まっていました。
私はというと、ゴーン氏の報酬には「品がないな」とぼんやりとした嫌悪感を抱いていました。彼の報酬が自ら「稼いだ」ものではなく、他の誰かが受け取るべき取り分をかすめ取っているという印象を持っていたからです。緻密な経営分析に基づくものではないことはお断りしておきます。ただの直観的な印象です。
経営破綻の淵にあった日産を救ったときの彼には、億単位の報酬を受け取る資格があったと思います。機能不全の組織を再生し、十万人単位、家族や取引先を含めれば数十万という人々の雇用と人生を救ったのは、巨額の報酬に見合うインパクトと貢献でした。
でも、復活後の日産の業績はワンマン型改革の効果ではなく、チームワークの賜物でしょう。リーダーの役割は小さくないとはいえ、近年はゴーン氏の日産の経営のコミットメントは小さくなっていたと伝えられています。「価値創造への貢献以上の高給」が、私の目には権力を利用したグリード(強欲)で「品がない」と映っていたのでした。
それは「かせぐ」なのか、「ぬすむ」なのか
ゴーン氏に限らず、経営者の報酬を考える私の視点は「それは『かせぐ』ことで得ているのか、『ぬすむ』に堕していないか」というものです。この「かせぐ」と「ぬすむ」という言葉には、ちょっと普通と違ったニュアンスが込められています。