「個人の意思をベースにした仕事には感激がある」
個人や集団において、自発的に仕事をするのと、強制的に嫌な仕事をさせられるのとでは、その出来栄えや達成度に大きな差が生じる。
教育や訓練にも同じことがいえる。「本当に自分にとって必要な知識や経験はなにか」と、真に問えるようになったとき、技能の吸収効果は全く異なってくる。しかしながら自発的に仕事をするといっても、自分自身では何が必要なのかつかみにくい場合がある。
その場合、他者からの働きかけが必要だ。それが「上司」の役目である。
上司には仕事の目標と個人や集団の現状との差異を発見して、部下に気付かせ、話し合いのうえ、目標設定をおこなうことが求められる。単なる押し付けではなく、上司と部下が共同して目標を設定して目標の共有化をはからねばならない。
いわば上司は単なる命令指示者ではなく、非常に手間はかかるが、個人や集団のニーズを発見して、それらを仕事に教育に組み立てていく教育者・コーディネーターでもある。小嶋千鶴子の仕事や教育のベースには「話し合いによる目標決定」があり、人間の行動科学に沿ったマネジメントを推奨している。
「『仕事』が人を創る」
小嶋はこんな話をしたことがある。
「昔、国鉄の時代のこと、上野駅で30年間改札口の切符切りをやっていた駅員さんがいた。単なる切符を切るだけであったら、3カ月もあったら習熟するのに何と気の毒なことか」
私たちの売り場はそうなっていないだろうか? 一日中客待ちをして、何の工夫もなくただ時間が過ぎるのを待っているような仕事をしてはいないだろうか? 職業の貴賤ではない。本来人間しかできないことをやるべきだということである。
創意工夫、改善、提案、協力、上位レベルへの挑戦、教育訓練を受ける機会、仕事の掘り下げ、仕事の拡充、それによる達成感や効力感、仕事の社会的意義・意味、などを教える上司の指導は、大きな意味をもつ。
オカダヤ時代に退社する女子に対して贈る言葉として「詩」の朗読をするという儀式があった。
「オカダヤは職場の学校、1年より2年は勝り、2年より3年は優れ、花のかんばせ……」
というものであった。入社が1年違うと能力、責任感、仕事の遂行能力に歴然とした差が生まれたのである。