元気高齢者は「歳」を独自の基準で捉えている

2人とも、自分が「歳」を自覚するのは、他人を見る目を媒介にして自分を見る時で、日頃は「歳をとった」という自覚がないという。それを聞き、改めて「エッ? 70代だけでなく、90歳を超えても歳をとったと思わないのか。じゃあ、何歳ぐらいに、どんなことをきっかけに、人は自分が歳をとったと自覚するのか」と考えたのである。

その後、「元気長寿者」の話を聞くたびに、「自分は歳をとったと思いますか」と聞いていった。するとやはり、幾人もから、Lさんと同じような答えが返ってきたのである。

こうした話からわかるのは、他人は相手が「歳をとった」ことを、その人の外見の変化や暦年齢を基準に判断するが、長寿者本人は、自分自身の「歳」に関して、別の基準を持つということである。それはどのような基準なのだろうか。

先のことは考えず、83歳でミシンを購入した

私が前提にしていた暦年齢に立つ年齢観と、長寿者本人のそれとが異なっている事実を自覚させられた、元気長寿者とのやりとりの場面がある。Bさん(95歳・女性)と、その夫(98歳)の話を聞いた時である。

Bさんが83歳でミシンを購入した理由を確かめる質問から始まった、夫婦との会話を紹介しよう。

春日「83歳という高齢でミシンを買われたのは、まだまだこれから生きたいと考えられてそうされたんですか。歳だからとは考えられなかったのですか」
Bさん「これから生きたいとか考えたんではなくってね、とにかく何かしたい何かしたいという思いが先ですよ。自分の歳がどうとか、これから先どうなるなんて全然考えないで、とにかくそのときの目の前だけです。わたしはズーッと先のことというのは頭にないんですよ。とにかく一日、目の前のことだけ、視野が狭いんです、その中で一人が楽しんでいるというか」
春日「じゃあ、現在は若い頃の延長のままですか。歳をとったなぁとは思われないんですか」
Bさん「歳だなんて思わないですねえ。おじいさんは?」
「そう。歳は今いくつかと聞かれたら、ええと今、自分はなんぼじゃったかいなあという感じ。『えっ! 90なんぼ!』って相手に驚かれると、ああそうか、俺はそんな歳かなと思うくらいで」