目の前のことだけを自分が楽しめればいい

私がBさんに発した「まだまだこれから生きたいと考えられてそうされたんですか。歳だからとは考えられなかったのですか」という質問は、ミシン購入当時のBさんの83歳という年齢、さらに女性の平均寿命87.14歳(2016年の数字、ちなみに同年の男性は80.98歳)という暦年齢の基準を暗黙のうちに含むものだった。

しかし、Bさんはそれを否定し、「これから先どうなるなんて全然考えない」「とにかく一日、目の前のことだけ、……その中で一人が楽しんでいる」と、自分は別の時間軸に生きていると言ったのである。こうした事実は、暦年齢のみを基準として長寿者が生きる世界を考えることが、いかに偏ったものであるかを示すものといえるだろう。

暦年齢によって人生を閉ざさず、いまを生きよう

 哲学者・中村雄二郎は、暦年齢による「老年」観が見落としがちな点を、次のように述べている。「『老年』や『老い』を問題にすると、どうしても人生のライフ・サイクルというテーマが出てきて、『老い』は生まれてから死ぬまでのあいだの最後のほう、つまり死に近づく段階ということになる。だから、時計が示すような水平の時間にそって見ていくと、人間の一生は、なんだか若いときには元気がよくて、年齢を取れば元気がなくなるということだけになってしまいます。
 しかし、われわれは必ずしもそう生きているのではなく、水平の時間を横切る垂直の時間というか、各瞬間にある充実感をもって、別の世界に躍り出ていくということもある。たしかに物理的な時間・空間の中に生物として人間は生きているけれども、実際にはそういうものより、はるかに別の空間とか時間をつくり出す能力があるし、また、そういう楽しみ方をしている」
(中村雄二郎監修『老年発見』NTT出版、1993年、48頁)

まさに、私が話を聞いた元気長寿者たちは、90歳を超えて高齢であるという物理的な制約を持ちながらも、それぞれが生きる暮らしの場で時・空を拓き、「自分は歳だから」と自分を閉ざすことなく、「いま・ここ」での楽しみを持って生きている人たちだったのである。

春日キスヨ
社会学者
1943年熊本県生まれ。九州大学教育学部卒業、同大学大学院教育学研究科博士課程中途退学。京都精華大学教授、安田女子大学教授などを経て、2012年まで松山大学人文学部社会学科教授。専攻は社会学(家族社会学、福祉社会学)。父子家庭、不登校、ひきこもり、障害者・高齢者介護の問題などについて、一貫して現場の支援者たちと協働するかたちで研究を続けてきた。著書多数。
(写真=iStock.com)
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