「生地の出来は70~80%は染色にかかっている」

カイハラは、デニムの染色を皮切りに事業の垂直統合を図っていきます。デニムの生産には、紡績、染色、織布、整理加工という工程があります。それらを染色から織布、整理加工、紡績という順に事業を拡大していきました。

写真上・創業者・助治郎(右)の手腕で手織機70台、社員30名の規模に。2代・覚(中)は軍需で製縄機に投資。3代・定治(左)は洋服用広幅絣を開発後、デニム製造への事業転換を決断、独力でロープ染色機を開発した。同下は本社工場内での良治会長。

伝統的な繊維産業は、分業制で成り立っています。しかし、分業制は工程ごとに事業者間で製品が取引されますから、全体としてのコストや時間のムダが生まれます。また、工程のどこかひとつが欠けても、生産が立ち行かなくなるという脆弱性もあります。カイハラは、それを嫌い、デニム生産を始めてわずか4年後に、備後絣の生産から撤退しています。

一方、「生地の出来は70~80%は染色にかかっている」と貝原会長は言います。ジーンズ人気でうなぎ上りに業績が伸びた70年代以降、品質の安定性と生産効率、量産化を追求していった結果、同社は生産の川上から川下までを一元化する垂直統合に行きついたのです。

「一貫生産なら、国内でも採算は合う」

そのための設備投資も「70年からの累積で800億円くらいにはなるのでは」(貝原会長)という膨大な額。なかでも特筆すべきは、最も川上にあたる紡績事業に乗り出したタイミングです。年商の半分以上を投じた紡績工場が操業を開始したのは91年。紡績業は国内生産では採算が合わず、軒並み海外に工場を移していた時期です。地元では「これでカイハラは倒産する」と囁かれました。

しかし、貝原会長は「一貫生産ならば、国内でも採算は合う」と決断したのです。

製造業の垂直統合は、高度成長期の自動車メーカーが典型例ですが、近年国内の、それも中小企業でうまくいった例はあまり見受けられません。その意味では、カイハラは垂直統合に成功した数少ない事例のひとつといえます。これにより同社は、他の追随を許さない強固な事業基盤を築き上げています。