戦前と戦後は「近代」という同じシステムのうえにある

――近代という問題意識を持っていることが共通している、と。

猪瀬直樹氏

落合くんはよく「アップデート」と言いますね。アップデートするためには、まず相手にどういった体験をさせたいのか、ビジョンを示す必要がある。そして今の仕組みがどう動いていて、どこが評価されていて、どこを改善すればいいかを確定させなければなりません。

その点、今の仕組みの多くは明治初期に創られたものです。僕らは明治時代につくられて、戦後に一度アップデートされた「近代」というシステムに生きている。あまり意識されませんが、戦前と戦後は「近代」という同じシステムのうえにあるのです。

だから、「近代」という前提を共有しないことには次にいけない。だからそこを考えましょう、という問題意識を共有できたのだと思います。

僕は批評家の東浩紀くんから「猪瀬さんはインフラ屋だから信用できる」という評価を受けたことがあります。たしかに僕は「近代」という日本のインフラを考えてきました。

僕の政治とのかかわりは『日本国の研究』を書いたことをきっかけとする道路公団民営化に始まって、副知事ではケア付き住宅を全国に先駆けてはじめたり、地下鉄一元化の問題を提起したり、水道システムの海外展開をやってきました。著作もいわゆる「ミカド三部作」(『ミカドの肖像』『土地の神話』『欲望のメディア』)は東京という都市の近代化が通底したテーマになっています。五輪招致もそこを起点に新しい社会を構築するというところを目指した点ではインフラです。

一番問題だと思うものがムダとムラ

――そもそも猪瀬さんはなぜ「近代」に関心をもたれたのですか。

きっかけは学生時代です。僕はかつて信州大学の全共闘の議長をやっていて、他の全共闘のデモの応援に東京に来たことがありました。何回かの応援に来たときに、喉が渇いたと思って周りを見渡したら路地にパチンコ屋があって。コンビニも自動販売機もない時代ですから、そこに入ってジュースを飲もうとしたんです。

そうしたら平日の昼なのにサラリーマンや主婦や自営業の人たちがたくさんいました。学生たちが騒いでいる大通りと路地のパチンコ屋の風景を見ながら、「あ、自分たちがやっていることはうわばみみたいなもので、本当に考えなきゃいけない日常はこっちなんだ」と思って、ほどなくして全共闘をやめました。

大学卒業後に上京して、橋川文三という、丸山眞男の異端の弟子の政治学者のもとで日本の近代について勉強をすることにしました。ゼミに通いながら、日中は全共闘で人を配置していた経験を生かして工事現場に人を派遣する親方をやっていました。高島平の高層アパートの工事現場の片づけなどにかかわっていました。元々作家志望ではあったので、論考を売り込む中で雑誌に拾ってもらって、物書きになりました。

そういう意識で生きてきたので、僕が問題にしているのは日本という風景なんです。だから僕がインフラ屋だという評価はある面では正しくて、党派的な主張と関係なく、一番問題だと思うものがムダとムラということになるのです。