今回の日本代表でも選手たちには、「一つ一つのプレーで強気の選択をしてくれ、気持ちを前に出していけ」と言い続けていた。あのとき自分が出した決断は、これまでの自分のスタイルとは真逆だった。
0対1で負けていたあの場面、実は当初長谷部ではなく、より攻撃的な選手を出して、同点に追いつこうとアップをさせていた。しかし、そこから数分間、劣勢の時間が続いた。あの決断を導くうえで、決定的だったのはその間にあまりにも印象に残るピンチの場面を何度か迎えたことだった。絶対の自信を持ってそこからチーム全体で攻められるかというと、そうではない状況になってしまった。
失点して0対2になれば、敗退が確定してしまう。あの場面の決断では、チーム全体として攻めるか守るかどちらかに振れなければならない。そうしないとチームは動かない。中途半端な決断が最もリスクになってしまう。あそこで「攻めろ」と指示を出したとしても、緊迫した状況で統一感を生むのは難しいと判断した。
そのうえで、別会場で試合をしているコロンビアは、自分たちと同じく現状スコアを維持すれば予選突破をできる状況。目の前のポーランドもこのまま勝てればいいと考えている。そのとき、自分の中で自然と出た判断だった。そこから守りに入ると長谷部に指示を出し、あの戦術をとることになった。信条を変えてでも、グループステージを突破する確率を考えたうえでの判断だった。
チーム第一だった「ザ・キャプテン」
――長い間チームの主将を務めた長谷部選手は代表からの引退を発表しました。長谷部選手はどのような役割を担っていたのでしょうか?
ハセ(長谷部選手)は「ザ・キャプテン」。彼は、チームを変化させるには欠かせない存在だった。主将として臨んだ4年前のブラジルワールドカップが不本意な結果に終わって、人一倍ロシア大会に懸ける思いは強い。前任の監督とも、選手とチームとのパイプ的な役割を担っていた。監督以上に選手たちに働きかけ、チームがよくなるためにと、常にチームとして考えていた。
彼のリーダーシップの取り方は、自分の意見を広めるのではなく、納得のいっていないことがあっても、監督の意思を全体に伝えるようにする。自分を殺してでも、チームを統一するために、コーチングスタッフの話を曲げないように選手たちに伝え、粘り強く広げていく。こちらが選手として集中してほしいと気を使うくらいだった。監督就任前にもハセのやり方を見てきていたのもあるし、キャプテンは彼以外考えられなかった。