私たちは機会費用を意識していない
私たちが機会費用を考えられず、考えることに抵抗を覚えるのは、車の購入に限った話ではない。私たちはだいたいにおいて、お金のほかの使い道を十分意識していない。そして困ったことに、機会費用を考えずに下す決定は、自分の利益にならないことが多い。
ステレオを買うときのことを考えてみよう。これはシェーン・フレデリック、ネイサン・ノベムスキー、ジン・ウォン、ラビ・ダール、スティーブン・ナウリスの「機会費用の軽視」という、うまいネーミングの論文からの引用だ。
彼らはある集団に、1000ドルのパイオニア製ステレオと、700ドルのソニー製ステレオのどちらを選びますかと尋ねた。別の集団には、1000ドルのパイオニア製ステレオか、ソニー製ステレオとCDの購入にだけ使える300ドルがセットになった、1000ドルのパッケージのどちらかを選んでもらった。
実際には、どちらの集団も1000ドルの使い道のなかから選んでいた。一つめの集団は、1000ドル全額をパイオニア製品に使うか、または700ドルをソニー製品に、300ドルをなんでも好きなものに使うかを選んだ。二つめの集団は、全額をパイオニア製品に費やすか、または700ドルをソニー製品に、300ドルをCDに費やすかを選択した。結果、ソニー製品は、300ドル分のCDとのセットのほうが、ずっと人気が高かった。なぜこれが不思議なのだろう?
それは細かいことをいえば、使い道が限定されない300ドルはなんでも買えるのだから、CDにしか使えない300ドルよりも価値が高いはずだからだ。なのに300ドルがCD専用として提示されると、彼らにはより魅力的に感じられた。なぜなら300ドル分のCDは、300ドル分の「なにか」に比べて、ずっと具体的で明確だからだ。300ドル分のCDといわれれば、なにが手に入るかがはっきりわかる。それは実体があって価値を評価しやすい。
だが300ドルが抽象的で漠然としていると、使い道が具体的に浮かばないから、強く感情に訴えかけないし、強い動機づけにならない。これは、お金が漠然としたかたちで表されると、同じ金額を具体的に表象するものが存在する場合に比べて、過小評価されがちだという一例だ。
機会費用を考えないのは抽象的だから
もちろん、この研究で用いられたCDは、今では絶滅危惧種だが、基本的な考え方は今も通用する。旅行であれ、大量のCDであれ、お金の使い道がほかにもあるといわれると、人は少し驚く。その驚きから察するに、人はふつうほかの使い道を考えないようだ。しかしほかの使い道を考えなければ、機会費用を考慮できるはずがない。
機会費用を軽視するこの傾向は、私たちの思考の基本的な欠陥を表している。今もこの先もいろいろなものと交換できる、というお金の特質は、たしかにすばらしいが、それは私たちがお金に関してとってしまう問題行動の最大の原因でもある。支出は機会費用という観点から考えなくてはならないが、それは抽象的すぎて難しい。だから決して考えようとしないのだ。
そのうえ現代生活に欠かせないクレジットカードや住宅ローン、自動車ローン、学生ローンなどの無数の金融商品のせいで、支出が未来に与える影響はさらに──往々にして意図的に──わかりづらくなっている。
お金にまつわる決定について本来考えるべき方法で考えられないとき、または考えようとしないとき、私たちはいろいろな心理的抜け道に頼る。そうした抜け道の多くは、お金の複雑さに対処する助けにはなっても、もっとも望ましい方法や理にかなった方法で行動する助けになるとは限らないし、ものごとの価値を誤って認識する原因になることも多いのだ。
デューク大学教授
1967年生まれ。過去に、マサチューセッツ工科大学のスローン経営大学院とメディアラボの教授職を兼務したほか、カリフォルニア大学バークレー校、プリンストン高等研究所などにも在籍。また、ユニークな実験によりイグ・ノーベル賞を受賞。著書に『予想どおりに不合理』『不合理だからうまくいく』『ずる』『アリエリー教授の「行動経済学」入門』『「行動経済学」人生相談室』(すべてハヤカワ・ノンフィクション文庫)がある。
ジェフ・クライスラー
コメディアン、作家、コメンテーター
プリンストン大学卒。弁護士を経て、お金と政治を扱うコメディアン、作家、コメンテーターになる。著書に風刺エッセー『Get Rich Cheating』がある。