突破口となったのは「フィリピン人のコミュニティ」

転んでもただでは起きない。起業家に求められる重要な資質のひとつである。

和田氏は、既存の家事代行サービスに対し、手軽な料金で差別化しようとしていた。このためプロモーションに大きな費用を投じるアプローチをとるつもりはなかった。和田氏はここで、以前通っていた英語学校の外国人講師が「ハウスキーピングは日本在住のフィリピン出身者に依頼している」と言っていたことを思い出した。

フィリピンは日本とは異なり、家事代行大国である。富裕層のみならず、ある程度の収入のある家庭ではハウスキーピングの外注は当たり前。しかも英語圏なので、ブロークンでも日本語に英語を交えれば、意思は通じる。

和田氏は、フィリピン出身者を始めとする海外出身者たちの情報交換の掲示板をウェブ上に見つけ、そこにハウスキーパー募集の書き込みを行った。さらに彼・彼女たちのコミュニティのハブとなっていたキリスト教会、さらにはスーパーマーケットなどを見つけては、チラシを置かせてもらった。

当初のタスカジではサービスの提供者はほとんどが海外出身者だったという。さらにそこから意図せざる効果が生じていく。

ハウスキーパーに「子供の通信簿」は見られたくない

日本人女性の家事代行サービスを利用することへの障壁は、料金だけではない。家事を他人に任せることに対する、ある種の日本人的な気持ちの重たさもある。

似たような考え方や生活習慣を持っている人間を家庭のなかへ迎え入れ、繰り替えし家事を手伝ってもらっていると、自分たちの生活を見透かされたり、批判されたりしているように思えてきがちだ。

依頼したハウスキーパーが、毎週わが家を訪れるようになると、何が起こるか。毎週のように来てもらうと、緊張感も薄れ、利用者の脇も甘くなる。たとえばテーブルの上に、子供の通信簿が広げっぱなしといったことも起こり得る。

しかしこれは、片言の日本語しか話せない海外出身者に家事を依頼するケースでは、問題とならない。そもそも彼・彼女らは日本語を読めないのだ。だから開けっぴろげなわが家に、毎週来てもらっても気にならない。

日本語を理解できないことが付加価値となる

家事代行とは、単に家事をテキパキと片づけてもらえばよいというサービスではない。気持ちよく利用を続けるには、提供者と依頼者のあいだの文化的・心理的な距離のあり方についても配慮が必要だ。この距離が大きすぎると、意思疎通が面倒となる。しかしある程度は距離があるほうが、関係を続ける上では気が楽だ。タスカジは、こうした効果にも助けられながら、継続利用型の利用者を獲得していく。

また利用者のなかには、子供の教育のため、自身のグローバルマインド育成のため、英語のみで会話したいという人も少なからずいる。日本語を理解できないことが、むしろ付加価値となるという現象も発生した。

現在のタスカジでは、ハウスキーパーの海外出身者比率は低下しているが、やはり同様の傾向は見られるという。依頼者の多くが、日常的に顔を合わせる可能性のある近隣からではなく、一駅くらい離れたところからサービスに来てもらうことを好むという。