ビール醸造屋から経営企画部への異動で価値観が激変

――石井さん自身も入社20年目にしてビール工場から離れて、経営企画部を経験されていますね。

「はい。ずっとビール醸造屋として歩んでいくものだとばかり思っていたので驚きました。ビールづくりのことしか知らない人間が、キリングループの中期経営計画の策定や予算配分などの業務に携わるわけですから。戸惑うことばかりでしたよ。正直言って、あまり面白くはなかった(笑)。

でも、ビール醸造のほかにもグループ内にはいろんな事業や業務があることを実感し、『ビールの専門家が一番すごいんだ!』と思っていた自分を小さく感じましたね。

次のキリンヨーロッパの社長は非常に面白い経験でした。最大のミッションは拡大するロシア市場への斬り込みです。プライベートも充実していましたよ。私は歴史が大好きなので、ドイツやロシアを旅するのは楽しかったですね。哲学者のイマヌエル・カントの墓はポーランドとリトアニアに挟まれたロシアの飛地領にあるって知ってましたか? ロシアの飛地領はバルト三国にもあって……」

――すみません、ロシア話それぐらいで結構です(汗)。2007年に帰国したら、今度も工場ではなくてキリンホールディングスの技術戦略部長という役職に就いたんですよね。また現場から離れて、嫌でしたか?

「技術屋の仲間からは同情されましたね。『ビールに戻れなくて寂しいだろ』と。でも、その頃には考え方が変わっていましたよ。新しいことにチャレンジできるのが嬉しくなっていました。

だから、いまでは若手の留学希望なども支援してあげたいと思っています。昔は、『若いうちはどっぷり現場に浸らないとダメだ』と思っていましたけど、必ずしもそうじゃないと思う。もちろん、専門も必要なんだけれど、広い視野を身につけたジェネラリストも組織には大切なんです」