しかし、メガネスーパーの社員たちは合わせず、腹を割ってくれる。一生懸命説明しようとしてくれる。これがありがたいのだ。彼らの話を聞いているうち、私にも新しい情報がインプットされる。するとダイレクトメールの文言が変わったり、ターゲットが変わったりして、「それならもっとやったほうがいいね」と、私も意見を変えることは多い。
そんなことだから、破綻のないきれいなプレゼンを聞くと、逆に心配になるのだ。「こうしたほうが社長は喜ぶから」と社員たちに忖度されているのではないか、どこかにワナがあるのではないか、そう疑ってしまう。だから社員には「腹を割った話をしてほしい」といつも話している。
きれいだが怪しげなプレゼンや筋の通らない提案を、何度もそういって突き返しているうちに、最初はおっかなびっくりだった社員たちも、次第に腹を割ったプレゼンをしてくれるようになっていく。今では、私が何か意見をしても「それは違います!」なんて言い返してくるのだから、驚きだ。私はそれが心からうれしい。
メガネスーパーが倒産寸前からV字回復できたのは、社長以下全員が議論を尽くしてきたからだ。腹を割ったプレゼンから、次の一手は生まれる。リーダーは耳に心地いいプレゼンを聞いて、喜んでいる場合ではないのだ。
多数決は「実行力」を落とす
美しいプレゼン同様、多数決も、私は嫌いである。だから使わない。スポーツでもビジネスでも、全員が「○○すれば勝てる」と納得し、理解していれば、どんな施策もすぐに実行できる。それは事実だ。しかしだからといって、皆を尊重するために、多数決という手段に頼るのは間違いだ。
多数決がなぜいけないかというより、そこにいる少数派の意見を封じ込めず、100対0になるまでとことん議論するのが筋なのだ。異議があれば、そこで全部吐き出してもらい、議論しなければいけない。
賛成と反対が6対4の割合などもってのほか。9対1でも許さない。1の意見を押し込めたまま進むと、結果として実行力が落ちるからだ。それはそうだろう。納得していない1人は、残り9人に「押し切られた」形なのである。多数決の結果が腹落ちしていない。
すると、いざというとき動けない者が出てくる。スピードが落ちる可能性が高い。スピードを落とす要素は私にとってはすべて悪なのである。
議論を面倒に思うと、多数決に頼りたくなるのかもしれない。だが、多数派の意見が間違っている可能性だってあるのだ。むしろ、多数派のカウンターとなる意見を必ず出すよう、私からは言い続けている。
では、9対1で賛成と反対が分かれているとき、1の反対意見にどう向き合うか。私は、真正面からいく。「あなたはどこが腹落ちしていないのか」「あなたがそう思う理由を、教えてほしい」と問いかける。