小学校時代は授業中以外は図書館に入り浸っていた

この就寝前の母親のカタカナ英語による読み聞かせ習慣が、鈴木さんを無類の本好きにさせたわけだ。とはいえ、当時、「てにをは」を正しく使えないなど姉妹の日本語がなかなか上達しなかったため、「さすがにこれではまずいだろう」と小学校から日本の公立校へ編入。給食や宿題など、インターナショナルスクールでは経験しなかったカルチャーに最初は戸惑ったという。

※クイズ番組『東大王』(TBS系列、日曜19時~)のホームページより

小学3年生ごろには日本語を話す生活にも慣れてきた。学級文庫にあった『モモ』(ミヒャエル・エンデ)を手に取ったことがきっかけで、日本語の本を読むようになった。授業中以外は図書室に入り浸っていたという。

その頃に読んでいたのは『ビルマの竪琴』(竹山道雄)や『一房の葡萄』(有島武郎)など。同世代の子供が読んでいる本よりも「背伸びした本」が好きだった。ちなみに小学校に入学した当初は、『ハリー・ポッター』シリーズ(J・K・ローリング)を原書で読んでいたそうだ。

「母も若い頃は、年に100冊ほど本を読む読書家だったそうです。小学生のときに谷崎潤一郎を読むような文学少女だったと聞きました。そんな母ですが、子供たちに本を読みなさいとは言わなかった。ときどき夏目漱石の『こころ』など、子供たちに読ませたい本を買ってきてさりげなく置いていましたね。流行っている児童書を置くことはなかったです」

父の部屋で石田衣良『約束』を読み、ひとりで泣いた

中学受験のため小学4年生から塾に通い始めた。この経験も知識量を飛躍的に増やす要因になったと思われる。もっとも通い始めの1、2カ月は、小学校の授業よりもはるかに難易度が高い塾の勉強についていけなかった。特に、「算数なんか最初はわけがわからなかった」というが、両親の支えと塾教師の熱心な指導で、その後、塾内でもめきめき頭角を現した。

ただ、6年生になると思うように成績が伸びない時期もあり、次第にストレスを抱えるようになった。そんなときに、出会ったのが石田衣良の短編集『約束』だという。

「気分が落ち込んだとき、父の部屋にこもって読んでいました。子供部屋は姉と共用だったので、一人になりたかったんです」

目の前で親友を失ったカンタ、突然耳が聞こえなくなった雄太、中学校に行かず公園で時間をつぶす雄吾。本の中には、それぞれの悩みに苦しむ同年代の子供たちの姿があった。

「言葉にできなかった自分の気持ちをこの小説が代弁してくれたようでした。弱くてもあなたはそのままでいいんだよと受け入れられた気がして、ボロボロと泣きながら読んでいましたね」

ちなみに、石田衣良との出会いは国語の試験問題だったという。抜粋された小説の一部をきっかけに興味を持ち、全部読んでみたいと思って本を手に取るのは、「勉強のできる子あるある」だ。