負の感情を呼び覚ました審判の警告

ウィリアムズ選手にとっては、この二重基準の問題(そして厳密にいえばその前の彼女の論点である、不正のない、誠実なプレイに対する疑義や、人種による二重基準)は、これまで長年にわたって自分が不当・不平等に扱われてきた(と少なくとも自分が捉えてきた)歴史を思い起こさせ、それに伴う極めて強い負の感情を呼び覚ますものだったのだ。彼女にとって、許しがたい、受け入れがたい問題であり、本質的な侮辱であった。それを甘んじて受け入れてこの試合での勝利を目指すことすら、彼女にとっては「自らに対する不誠実」と捉えられるくらいの出来事だった――そう解釈すべきではないか。

「破壊や暴言が認められるようにするような男女平等ならいらない。だからセリーナの主張には賛同できない」という女性もいる。それはそれでひとつのスタンスである。しかし、根幹は、テニスという過酷なスポーツの試合中におけるフラストレーションの表現や発散手段として、何を容認するか、という議論であり、この基準における男女差を放任しておくことは、「男性らしさ」「女性らしさ」に関するステレオタイプ、あるいは、「男性にはよいとされるが女性ではよいとされない言動(あるいはその逆)」といった社会の「無意識のバイアス」を是認し、助長することにつながると思う。

これは、長期的に見て、男性にとっても女性にとっても不幸なことだ。「破壊行為や暴言がよくない」、というのであれば、「男女どちらにとっても認められない」と定義され、運用されるべきだろう。

二重基準をめぐる戦いは、ウィリアムズ選手ひとりのものではない。それは、性や人種を問わず、すべてのテニス選手にとっての戦いであり、ひいては社会全体にとっての戦いであるべきだ。彼女が決勝戦でその十字架をひとりで背負ってしまったのは、残念だったし、悲しかったし、痛々しかった。ただ、今回のことで、二重基準に関する社会全体の知識と関心は高まったはずだ。

「大義」を果たすためにもセキュアベースが必要

1つ。もう一度グランドスラムで優勝すること。

ジョージ・コーリーザー、スーザン・ゴールズワージー、ダンカン・クーム(著)/東方雅美(翻訳)『セキュアベース・リーダーシップ』(プレジデント社)

2つ。平等にルールが適用されるテニス界を作り、テニス界の後進だけでなく、世界のひとびとにとって、無意識のバイアスや差別からより開放された世界をつくることに貢献すること。

どちらも、ウィリアムズ選手という一個人を超えた、大きなインパクトのある「勝利」になるはずだ。特に2つ目は、「大義」といってもいいだろう。賛同、共感し、ともに歩みたい、と思う人は少なくないはずだ。

私は、その2つ目の勝利に向けた歩みの先頭に立つウィリアムズ選手を見たい。そう思う人々は世界中にたくさんいるに違いない。1人のための戦いではなく、大義に向けた歩みなのだから。

そこでは、ウィリアムズ選手にとってのセキュアベースになるような人々が必要だ。彼女の悲しみや怒りを、わがこととして捉えられる人々。「勝利を目指す」中で、事実を整理し、論理を組み立てつつ、人の善意に訴求していく。「心の目」を常に、もっとも大切なところに当て続け、そらさないようにする。そのために、ウィリアムズ選手と連帯していく人々が必要だ。

ウィリアムズ選手にも、セキュアベースとしての役割が求められていいだろう。その役割を彼女が引き受けることは、彼女にとっても、また、人々にとっても、極めて大きな、そしておそらくポジティブなインパクトを持つ。彼女にはそれができるのではないか。そのときに、その大きな歩みの輪の中に、大坂なおみ選手を見いだすことができれば、とてもすてきだ。

高津尚志(たかつ・なおし)
IMD北東アジア代表
早稲田大学政治経済学部卒業後、1989年日本興業銀行に入行。フランスの経営大学院INSEADとESCP、桑沢デザイン研究所に学ぶ。ボストン コンサルティング グループ、リクルートを経て2010年11月より現職。IMDは企業の幹部育成に特化をした、もっともグローバルなビジネススクールとして知られており、日本企業を含む世界中にある数多くの企業のグローバルリーダー育成を支援している。主な共著書に『なぜ、日本企業は『グローバル化』でつまずくのか』『ふたたび世界で勝つために』(ともに日本経済新聞出版社)、訳書に『企業内学習入門』(シュロモ・ベンハー著)がある。
(写真=Robert Deutsch-USA TODAY Sports/Sipa USA/時事通信フォト)
【関連記事】
二刀流・大谷翔平は"掃除"で一流になった
熟年カップルの"ラブホ利用"が増えている
コンビニの「サラダチキン」を食べるバカ
科学的に証明された"運を引き寄せる法則"
天才とアホの両極端"慶應幼稚舎"の卒業生