ライバルもセキュアベースになる

3つ目のセキュアベースは、他ならぬセリーナ・ウィリアムズ選手だったのではないか。
父親に導かれ、姉とともにテニスを始めた大坂選手にとって、ウィリアムズ姉妹は常に目標であり、ロールモデルであり、手本であった。準決勝終了後のコートサイドでのインタビューでは、「Serena, I love you」とまで言っている。長年にわたり、何度とない浮沈を繰り返しながら、今なお現役の最前線で戦うウィリアムズ選手に対する愛情と敬意が、大坂選手の勇気と挑戦の源であったとしても、驚くべきことではない。

この「セキュアベース」は、欧米のビジネススクールのリーダーシップ教育でも教えられている概念で、「他者の能力を引き出す」というリーダーの役割を考えるとき、きわめて重要な示唆を与えてくれる。

リーダーがフォロワーにとって心から信頼でき、安心感を与える存在であると同時に、高い目標に挑戦するよう背中を押してくれる存在でもあるとき、桁違いのパフォーマンスが生まれることが、私も所属しているスイスのビジネススクールIMD教授のジョージ・コーリーザーらによる調査によって明らかになっている。

これは、リーダーとフォロワーだけでなく、親と子、コーチと選手でも当てはまる。詳しい説明はコーリーザーらの著書『セキュアベース・リーダーシップ』に譲るが、セキュアベース・リーダーがフォロワーの能力を極限まで引き出せるのは、守られているという安心感のなかで、「心の目」を「勝利を目指す」ことだけにフォーカスさせることができるからだ。

二重基準との戦いに「心の目」を奪われる

次に、セリーナ・ウィリアムズ選手についても考えてみたい。彼女は何と戦ったのだろうか。彼女が目指していた勝利とは、なんだったのだろうか。彼女の試合中の言動には、批判的な声が目立つ。私自身も、それが最初の反応だった。一方、主審の采配や言動にも、賛否両論があるようだ。

今回、私は、男子選手なら大目に見られる暴言や破壊行為が、女子選手では厳しく罰せられる傾向があること、男子選手がコートサイドで着替えることは容認されていて、女子選手はそうではないことなど、テニスのルール適用における男女間の「二重基準」が現実に存在している、と考えている人が少なくないこと、また、それが問題である、と考えている人が少なくないことを学んだ。

試合の経過と結果だけ見れば、ウィリアムズ選手は主審や審判部と、試合中にこうした二重基準をめぐって戦うことで、この試合の「勝利を目指すこと」から、自らの「心の目」をそらすことになってしまった。

ただ、あれだけ実績があり、長年活躍をしてきた選手である。わかっていたのではないか。二重基準に関する戦いをここで仕掛けることで、全米オープンの記念すべき第50回大会で、出産後初のグランドスラム優勝を飾る、という大きな目標から自分が遠ざかってしまうことを。