サッカーW杯で日本人サポーターの「ゴミ拾い」が海外で称賛を集めている。そうした日本の「掃除文化」に注目し、シンガポールでは2016年、すべての小中高校に「掃除(SOJI)」の時間を導入している。一方、日本国内では「学校教育に掃除は不要」という声も根強い。学校教育に掃除はいるのか、いらないのか。現役国立小学校の教師が実感する「掃除の4つの効能」とは――。

W杯で日本の「掃除」が称賛されている

サッカーワールドカップ(W杯)のロシア大会で、日本が躍進しています。そして、日本の「掃除」も世界から注目されています。ロシアに出向いた日本人サポーターが、試合後、客席のゴミ拾いをする様子を海外のメディアが素晴らしい行動だと称賛しているのです。

※写真はイメージです(写真=iStock.com/EasternLightcraft)

サッカー会場以外でも、日本の掃除掃除の評価が高まっています。2016年にシンガポールの全ての小中高校で日本の学校をモデルとした「SOJI」の時間が導入されたのです。今、アジアで経済的に急成長している国が、掃除教育を新規に導入したというわけです。

日本の「掃除」をポジティブに評価する動きが海外で広がる一方、日本国内では「学校教育における掃除は不要ではないか」という考え方の保護者が少なくありません。「毎日掃除にかける時間は無駄」「疲れて勉強がおろそかになる。なぜ子供に労働をさせるのか」「掃除は不潔」。そんなふうに学校に申し出る人もいます。

学校教育に掃除はいるのか、いらないのか。

教師として小学校教育に17年間携わってきた筆者が「掃除には教育的価値がある」という立場で、その理由を述べたいと思います。

【1:気づき付きの場・褒められる場としての掃除】

子供は掃除をするから、汚れに気付きます。

筆者の知人の教師(小学校1年生担任)は自身の著書でこう述べています。

<雑巾の役目は、汚れを雑巾に移すことです。これがわかっていないと、雑巾を滑らすだけで「拭いた」つもりになります>(宇野弘恵『スペシャリスト直伝! 小1担任の指導の極意』明治図書)

自分自身を汚すことで、他をきれいにする。それが雑巾。ここをきちんと理解した児童は、拭き方が変わります。体重が乗るようにちょうどいい大きさに雑巾を折り、汚れている部分を見つけながら丁寧に拭くようになります。雑巾を開いてみると、汚れが雑巾に移ったことがはっきり見えます。自分自身が大変な思いをすることで、他を輝かせることができる。これが「雑巾がけ」の精神です。

教師としては、掃除は子供を褒めることができる場面です。

笑顔で「○○さんのがんばりがはっきりわかるね!」と頑張りを認めてあげられます。子供の自己有用感が高まり「きれいにするって、気持ちがいいね」という価値観を共有できます。一石二鳥にも一石三鳥にもなります。