※本稿は、野田力『フランス外人部隊 その実体と兵士たちの横顔』(角川新書)の一部を再編集したものです。
武装集団3人に1人で囲まれた
今日、自分は死ぬかもしれない――。
フランス外人部隊の一員であった私には、コートジボワールに派遣された時期がありました。そのとき銃を持った3人と向かい合い、そう思いました。2006年のことで、26歳でした。
コートジボワールでは2002年から内戦が続いていました。この頃までには政府軍と反政府勢力のあいだで停戦宣言があり、武装解除の合意もなされていました。にもかかわらず対立構造は解消されていない状況だったのです。フランス軍は停戦の監視と治安維持のために駐留していました。そのパトロールに就いていたなかで、武装した集団に囲まれてしまったのです。私個人は1対3になりました。
私も銃を持っていました。しかし、グリップから手を離すようにと言われ、相手を刺激しないように従いました。一方で相手は、銃に弾を込めていたのです。相手が仕掛けてくるまではこちらから攻撃するわけにはいかず、漠然と死を覚悟しました。
相手が銃を撃つなどしてきたならどうするか、とも考えました。そのときに思ったのは、そうなればこちらも応戦するしかないということです。
自分は人を殺せる――とも思い至りました。
相手が誰であろうと、人を殺したくないのはもちろんです。それでも、戦地、あるいは戦地に準じた場所で自分が殺されるような状況になったなら、殺されないためにも応戦はできると確信しました。今もそうなのかといえば、わかりません。少なくともこのときはそう思ったということです。
戦争がしたかったわけではない
私は2004年から6年半、フランス外人部隊に所属していました。
そのあいだに、コートジボワールやアフガニスタンなどに派遣されています。戦争が続いていたアフガニスタンでは、前線に近い場所での作戦行動にも加わりました。個人的にどれほどのことをしたかはともかく、戦争を経験したわけです。
私が外人部隊に入ったのは戦争をしたかったからなのかといえば、違います。もともとは自衛隊で災害救援に携わりたいと考えていたのにかなわず、生き方に迷っているなかで選んだ道でした。外人部隊に入ろうと決めたときも、戦地に派遣されるような可能性はそれほど高くないのではないかと思っている部分もあったというのが本当のところです。当時、戦禍の激しかったイラク戦争にフランスは派兵していなかったのです。