アフガニスタンでは、コートジボワールにくらべてもさらに近くに“死”がありました。

私は衛生兵としてアフガニスタンに行きました。衛生兵というと、戦場から離れた場所にとどまり負傷者をみているようにイメージされやすいのだと思います。そうではありません。私の場合、戦場では兵士として与えられた作戦に従事します。所属している隊が前線に行けば、衛生兵も前線に行きます。そのうえで負傷者が出た際などに救急活動を行うことになります。

銃弾の跡の残るフロントガラス(著者撮影)

「負傷者が出て、衛生班の増援が要請された。出番だ、行くぞ!」

そう言われて、銃撃戦が行われている場所まで駆けつけたこともありました。

連絡を受けた段階ではどのようなケガなのかはわからず、腕や脚などを撃たれたのではないかと思っていました。現場に着くと、1人の兵士が頭を撃たれていました。銃弾が額から後頭部へ貫通し、口から血を泡立たせて苦しんでいたのです。

銃声が響く中で兵士の治療にあたった

誰なのかはわかりませんでした。個人の特定はできないほど顔が変形していたからです。1発の弾が額を貫通しているほかは外傷がなかったのに、内出血によって目蓋あたりが膨れあがり、顔は原型をとどめていませんでした。頭を撃たれると、ここまで顔が変わるものなのか、と驚きました。助かるような傷ではありませんでした。それでも軍医の指示に従い、その場でやれる限りのことはやりました。戦場でのことです。治療をしている最中にも「コンタクト!(接敵)」という声が飛び交っていたようで、銃声が響いていました。そういうなかにあって、なんとかその兵士を装甲車にまで運び込んだのです。

搬送後の無線連絡によって、初めて彼の名を知ることになりました。同じ中隊に所属するスロバキア人でした。しばらくすると、「ヘリコプターの中で彼は死んだ」という連絡もありました。装甲車でCOPと呼ばれる拠点まで行き、COPから国際部隊病院に搬送しようとしている途中で死亡が確認されたというのです。

私と一緒に治療に立ち会っていた衛生兵は悔しそうに「くそお」とつぶやきました。

そのときの私は「救えない命もあるのだから仕方がない」と考えました。治療しているときから、さすがに助からないのではないかと思っていたので、よくそこまで頑張ったな、と冷静に受け止めていたのです。残念ではあっても、悲しいとまでは感じませんでした。

アフガニスタンではそんな経験もしました。