――仏教とかかわるのは葬儀関係のときだけ、という人は多いのではないでしょうか。私もどれだけ「お布施」をわたせばいいのかわからず不安です。
お寺に渡したお金がどういうふうに使われているか、皆さん不安に感じていますよね。だからうちのお寺では、いただいたお布施が何に使われているか、はっきりとわかる状態にあることを心がけています。
――それはどうやって?
普段からきちんと受領書(領収書)を切って「お布施は本堂の建立資金として使わせていただきます」と明記しています。「ああ、自分のお布施でお寺ができるんだな」とわかったら、皆さんうれしいと思うんですよ。
「仏智」でお金を見る
――「源妙寺」では、お布施の額はどのように決めているのでしょうか。
うちの寺では、こちらから「お布施はいくら」ということは言わないようにしています。お気持ちでいただく形ですね。
――では、極端に少ないなんてこともあるのでは?
新たにお寺を立ち上げた方たちが口をそろえて言うのが、「お金は後からついてくる」ということです。以前は、その言葉の意味がよくわかりませんでしたが、じっさいにお寺を始めて、さまざまな経験をしていくうちに、だんだん理解できるようになってきました。私たちお坊さんは、目の前のことを一挙手一投足、120%の力で勤めることが第一。結果はおのずとついてくるのです。
――お金というものの捉え方自体が、一般とは異なるのですね。
例えば、日蓮宗の本山には「掃除日」という行事があります。その日は信者さんたちが朝7時に来られて、仏具をみんなで磨きます。しかも、ご奉仕をしてくださった上に「ありがたかった」とお布施を置いていかれる。掃除をしてお金を払うなんて、世間ではあり得ないですよね。でも、そこはやはり仏様がいるということで成立してるわけです。そして私たちは、その仏様に仕えている身です。そのことを忘れず、お金というものも仏智(ぶっち)――すなわち、仏の智慧(ちえ)でもって見ていかないといけないなと、日々気持ちを新たにしています。
僧侶
1987年、長崎県生まれ。15歳で出家し、日蓮宗総本山身延山久遠寺へ修行に入る。杉並区堀之内妙法寺で修行しながら立正大学で勉学。大学卒業後、府中市東郷寺、品川区摩耶寺への奉職を経て、2014年、日蓮宗国内開教師に任命。同年、越谷市に越谷布教所源妙寺を開堂。