※本稿は、「プレジデントFamily2018夏号」の特集「『熱中する子』がグンと伸びる!」内の記事を再編集したものです。
「カマキリの獰猛さが本当に好き」
――香川さんは、どんな少年時代を過ごしたのですか?
【香川】昆虫が大好きで、昆虫に熱中していましたね。特に好きだったのはカマキリ。小学校低学年の頃から大学生になり実家を離れるまで、毎年、飼い続けていたので、思い出が多いです。
――大学生までですか! なんでそんなにカマキリが好きだったのですか?
【香川】なんというか、カマキリの獰猛(どうもう)さが本当に好きなんです。何かを獲って食べて生きていくという。勝者と敗者が決定的に分かれるところが、印象的だったんです。巣の中にエサを持ち込むとか、エサの対象に寄生するとかじゃなくて、カマキリはエサと対峙したら、あっという間に食べてしまうわけです。それまであった物体がカマキリに食べられて跡形もなくなる。かじられて、顔がなくなったと思っていたら胴体がなくなる。最後に羽、足、おなかの肝みたいな部分だけポロッと残す。勝者であるカマキリを英雄視していました。
ほかに好きだったのは、なかなか捕りづらかったという理由で、クマゼミ。かつての生息地は西日本で、東京にはいなかったんですよ。今は温暖化の影響なのか、全国各地で見ることができますけど。だから初めて見たとき「なんだ!? このでかくてうるさいセミは!」と。ほかのセミより高いところにいて、朝しか鳴かないという高貴さもある。死んで地面に落ちているクマゼミを見ると、羽が透明なんだけど、太陽の光にかざすと光を照り返してきて、ビロードのようなきれいな色なんです。東京では、茶色い羽のアブラゼミがメジャーだったのでクマゼミは憧れでした。
「昆虫を庭に放って“素”の姿を観察するんです」
――珍しい虫を捕るのが好きだったのですか?
【香川】最初は「捕る」が目的でしたが、次の段階としては、自然に近い環境に放って、昆虫の“素”の姿を「見たい」という欲求でしたね。
昆虫を虫かごに入れてしまうと、昆虫にしてみれば戒厳令下に置かれるようなもの。「なんじゃこりゃー!?」「おかしい!! どこにも出口がない!」という事態なわけです。その状態だと、彼らの本質は見られないわけなんですよね。
だから庭に放って観察するんです。子供のときに住んでいた家には庭があり、芝生や木もありましたので、そこへカマキリやバッタ類や甲虫類、カミキリムシなど、逃げていかなそうな昆虫を放つ。昆虫の気持ちになってみたら、捕まえられたときには一度ショックを受けたかもしれない。でも、庭に放たれしばらくすると「あ、捕まえられていないんだ」と思い、普段の行動に戻る。そこからが観察時間です。
だんだん、昆虫に「捕まえられた!」というストレスをいかに与えずに捕まえるかを考えるようになるんですよ。棒切れをササッと目の前に置いて誘導し、そこに昆虫がとまったタイミングですっとかごに入れて、できるだけ早く庭に放つというように。