インフラなしでも生きていけるという実感をつかめ

しかもほんとうにこわいのは、この感覚が無意識のうちに、この身体にきざみこまれてしまうということである。そして、ちょっとしたことで、その感覚が暴発してしまう。みんながこの社会をよりよくしたいとおもっているのに、効率的に、スピーディにしたいとおもっているのに、そのためにいそいそとがんばっているのに、その障害になるやつらはなんなんだ、ほんとうにムカつく、ただちに排除しろと。ひとに有用であれ、つねに役にたつようであらねばならない、もっとよくなれ、もっとよくなれ、はやく、はやくと、そういった感覚がうえこまれるのには、こういった日常的なインフラ権力が、ボディーブロウのようにきいているんじゃないかとおもう。

では、このインフラ権力にしたがわないためには、どうしたらいいのか。かんたんだ。インフラなしでも生きていけるという実感をつかめばいい。

栗原潔『何ものにも縛られないための政治学 権力の脱構成』(KADOKAWA)

道路のはなしだったら、べつにいまの路上のルールに、なんでもかんでもしたがっていなくてもいいわけだ。車もとおっていないのに、信号をまつ必要があるのか? みんなの道のはずなのに、なんで車が優先されなくてはいけないのか? テーブルとイスでもだして、みんなでお茶をする場にしてはいけないのか? 囲碁でも将棋でもなんでもやっていたらいいのではないか?

たったいちどでもいい。そういうちょっとしたことをやってみたら、インフラなんかにはしばられない、はやいもおそいもない、いいもわるいもない、役にたつもたたないもない、そんな感覚を身体にもつことができるはずだ。

著書では、過去から現在にいたるまで、いくつかそんな例をあげてみた。どれかひとつでも、身近にかんじてもらえるものがあったらとおもう。えっ、なんの役にもたちやしない? 一見すると、そんな行為のなかから、ほんのすこしでもいまの社会の生きづらさを突破するヒントを発見することができるかどうか。それがこの本の賭け金だ。ぜひ、ご一読いただきたい。よろしく。

栗原 康(くりはら・やすし)
政治学者
1979年生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科・博士後期課程満期退学。東北芸術工科大学非常勤講師。専門はアナキズム研究。『大杉栄伝 永遠のアナキズム』(夜光社)で第5回「いける本大賞」受賞、紀伊國屋じんぶん大賞2015第6位。2017年池田晶子記念「わたくし、つまりNobody賞」を受賞。著書に『現代暴力論 「あばれる力」を取り戻す』(角川新書)、『村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝』(岩波書店、紀伊國屋じんぶん大賞2017第4位)などがある。
(写真=時事通信フォト)
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