悪いやつには悪いやつなりの論理がある
もちろん相手は犯罪者ですし、なかにはとても人間とは思えないような、極悪非道なやつもいる。それでも完全に真っ黒な極悪人はいないものです。悪いやつには悪いやつなりの論理がある。それを理解しようと努めることです。彼らは他人に理解してもらえることが少ないだけに、「この人は本当に自分のことをわかってくれた」と思うと、もうなんでもしゃべってしまう。
たとえば相手が雑談で、「刑務所では、罪が重いほうが偉いんだよ」と言ったとします。そんなときは、
「えっ、そうなのか? 詳しく教えてくれよ」
と教えを乞う。すると相手は、
「なんだい検事さん、知らねえの? しょうがねえなあ。やっぱり殺人とか、死刑になるようなことをしたやつが刑務所ではいちばん偉いんだよ」
「へえ、そうなのか。じゃあ偉くないのはどんな罪?」
「いちばん下は強姦罪だね。やっかみもあって、相当いじめられるよ」
という調子で、どんどんしゃべってくれるのです。
逆にこちらに、「こんな悪いやつは許せない」という気持ちがあると、何も話してくれなくなります。最終的な善悪の判断は法廷に任せ、自分は科学者のように事実だけを追求することができなければいけない。
「俺も相手を殺したいと思うほど、人を憎んだことがあるよ」「同じ立場に置かれたら、俺だって同じようなことをしていたかもしれないな」というように、自分の中の「悪」を開示するのも有効です。
また相手にもプライドがありますから、間違っても偉そうにしてはいけない。仮に相手がヤクザの親分ならば、一介のチンピラと同じ扱いはせず、それなりの遇しかたをします。
「おまえも一族郎党を束ねる立場なら、自分のやったことがわかるだろう」というように、親分は親分らしく扱う。そうすれば向こうも男としてプライドを認めてもらったと思う。自分を尊重してくれた相手には、本当のことを言いたくなるものです。