89年9月から5年半、カリフォルニア州に駐在し、販売子会社で米国西部地区の担当副社長をしたとき、できるだけ現場を巡った。お客のところは当然として、競争相手が揃う展示会にも通う。出会ったライバル企業の幹部に話しかけ、意見を交換し、親しくなっていく。40代を迎えるころで、周囲から「若いやつが、何だ」とみられていた、と思う。でも、相手のトップにも「教えて下さい」と会いにいく。米国のその世界は、敷居が低かった。
そうしてできた縁を、大切にした。名刺を交換し、クリスマスカードを送るだけではなく、その後も連絡を重ねる。近くまでいけば電話を入れて、会いにいく。「何か、利用してやろう」などとの意図はなく、相手の職場が変わっても、付き合いは切らない。
そんな垣内流で、2度目の米国勤務に着任してほどなく、ライバルの米大手印刷版材料メーカーの知人に、連絡した。そこから縁が縁を呼び、何度か訪ねていろいろな部署の人を紹介してもらうと、相手はカナダ企業の製品だけでなく、こちらの製品もOEMで受け取る契約に応じた。さすがは米大手、販売力が強く、それまで販売実績は数台だったのに、1年で100台を超えた。日本の協業相手も自社ブランドにして売り、さらに欧州メーカーも米国工場を閉めて、OEMを受け入れた。
人脈の豊富さで、独走の相手を抜く
だから、米国では同じ自社製品が、3つの他社ブランドで併存した。合計すれば、市場シェアは2005年の帰国時に、かつて首位を独走していたカナダ企業を抜き去り、30%台に乗っていた。
「縁尋機妙」(えんじんきみょう)――縁は縁を呼び、言うにいわれぬものだとの意味で、8世紀ごろ日本へ伝来した『地蔵本願経』にある言葉だ。後に「多逢勝因(たほうしょういん)」と続き、多くの人と出会い交わることが物事をいい結果へ導く、と説く。2度の米国勤務を通じて多くの人と会い、人と人とのつながりを大事にしたことで会社の窮地を救い、ビジネスチャンスを生んだ垣内流は、この教えに通じる。
縁が縁を呼び、小さく出た芽が大きな花を咲かせた例に、フォントの「ヒラギノ」もある。90年代前半に自社の基本的な字体とするため、デザイン会社に依頼してつくり、京都市にある地名から名付けた。この販売権を持ち、シカゴへ赴く前年、米アップルのマック向けに売り込んだ。
一件の使用料は小さくても、大きな世界だ。いまや「iPhone」にも採用され、ゲームや複写機などの液晶画面、テレビ画面で流れるテロップにも使われている。当初は部下が交渉したが、商談が進まない。そこで、知人の縁をたどって、最終プレゼンには自ら赴いた。思い起こせば、これも40代の面白い出来事だった。