32歳のときに転職して、大和ハウス工業に
創業100周年の2055年に連結売上高10兆円という大きな目標を掲げている大和ハウス工業。18年3月期の売上高は3兆7500万円を見込むと順調に成長を続けており、目標達成の前倒しが現実味を帯びてきた。中途入社から出世の階段を駆け上がった芳井敬一社長に、次世代を担う人材について聞いた。
――芳井社長は、支店長試験のときに「次の世代の人材を育てたい」とアピールして経営陣を驚かせたとか。ミドルマネージャーのころから人材育成を意識していたのですね。
私は32歳のときに転職して、大和ハウス工業に入社しました。入ってわかったのが、この会社には頭が下がるくらいに頑張るスタープレーヤーがいるということ。一方、その次を担う層が育っていなかった。スタープレーヤー頼りだと、その人が抜けた後に組織として成長が止まります。そういう問題意識があって、人を育てたいと言いました。
じつをいうと、もともと小学校の先生になりたくてね。大学は哲学専攻ですが、教職課程で先生になる勉強をしていました。わが社の企業理念の1つに、「事業を通じて人を育てること」がありますが、転職してそれを読んだとき、教育者になりたかったという自分の思いと重なった。その意味では、マネージャーになる前から人材に関心が高かったです。
――御社の強みの1つが営業部隊です。営業で活躍するのは、どのような人材でしょうか。
私たちは「す・か・さ・ず運動」を実践しています。すぐやる、必ずやる、最後までやる、ずっとやる。つまりは諦めない営業です。
もちろんお客様が他社を選ばれたら、それ以上追いかけはしません。ただ、とにかく契約が決まるまではお客様のところに通い続けます。最初は「この土地は放っておく」といったお客様も、通い続けるうちに途中で事情が変わって、建物を造ろうという気になるかもしれません。そうなったとき、「困ったときはいつでもどうぞ」と待っているだけの営業に、いったい誰が電話したいと思いますか。真っ先に顔が思い浮かぶのは、いつも顔を見せてお客様と正対している営業です。だから、諦めない営業が大切なのです。
他の業界も同じでしょう。昼時になると、わが社のビルの1階ロビーには保険会社の営業担当が保険の勧誘にやってきます。ほとんどの方は、何回かトライしてダメだったら顔を見せなくなる。でも、某保険会社の人はずっと通い続けて、「こんな保険が出ました」とチラシを配って歩いた。私は保険に入る必要がなかったけど、「入るときは、この子からや」と思って、実際、のちに2本入りました。
コツコツやる営業は非効率だとバカにする人もいるでしょう。でも、私が入社したころの大和ハウス工業はまだまだ知名度の低かった会社。無から有を生もうと思ったら、効率なんて言ってられません。おかげさまでいまは選択肢に入れていただける会社になりましたが、勘違いしてはいけない。誰でもラッキーパンチを一発は打てるかもしれませんが、努力してない人に2発目はありません。地道にやり続けられる人だけが勝ち、最終的に数字も上回ります。