吉田さんの生まれは高知県だ。各地の飲み方を探る目は、出身地である高知にも向けられる。
僕が初めて土佐流酒宴の洗礼を受けた時は、いくぶん戸惑った。宴が、酔って歌って踊る平安時代のノリと変わらないからだ。土佐酒のムック本製作に協力してくれた地元出身のカメラマンの一人が、打ち上げの酒席で“民権数え唄”の替え歌を披露したいと言い出した。(中略)ホロ酔ったカメラマンは、小皿を二枚ずつカスタネットの要領で日焼けした両手の指に挟み、やおら立ち上がった。一言口上を述べた後、カッチ、カッチと小皿を器用に打ち鳴らしながら手踊りし始めた。
“♪ひとつとせ~、一人娘と……”と、大方の大人は聞き覚えのある戯れ春歌。(中略)いったい、いくつまで数えたのか記憶にない。まして蛸踊り状態のカメラマンは、真摯な歓待の意を表しているつもりだから手に負えない。
〈千鳥足はラテンのリズムで――長めのまえがき〉
“♪ひとつとせ~、一人娘と……”と、大方の大人は聞き覚えのある戯れ春歌。(中略)いったい、いくつまで数えたのか記憶にない。まして蛸踊り状態のカメラマンは、真摯な歓待の意を表しているつもりだから手に負えない。
〈千鳥足はラテンのリズムで――長めのまえがき〉
ここで歌われた「民権数え唄」は、福沢諭吉の「天は人の上に人を造らず 人の下に人を造らず」に影響を受け、高知県で生まれたものだという。それにちなんで、本書のタイトルがつけられている。
「高知には酒のエピソードがたくさんあるんだよね。とにかく大量に飲むから。大量に飲むのなんて偉くもなんともないんだけど、僕自身そうなっちゃってるみたいだね(笑)。小学校6年生まで高知に住んでいました。感性が磨かれたり、情操が固まったりするのはそれくらいの年齢なんですよ。その大事な時期を過ごして、高知の大人の飲み方を見ていた。当時は結婚式なんていうと二昼夜、三昼夜、延々と飲んでましたから、『酒はああいうふうに飲むもんなんだ』って信じちゃった」
『酒場放浪記』人気の理由を本人が分析
その結果として、延々飲み続ける『酒場放浪記』が可能になっているというわけだ。本人は、番組の人気の理由をこう分析する。
「もともと複雑な性格をしてないもので、酒を飲むとより性格がストレートになるというか。視聴者の人にはそういうところを面白がってもらっているのかなあ、という気はしています。自分としては『三つ子の魂百まで』というか、なにも変わってないつもりなんですけどね。絵を描くことが好きで、詩を書くことが好きで、大人になってからは酒を飲むことが好きになっただけです」