【佐藤】小選挙区制への移行で決定的だったのが、旧社会党のなかの左翼だった労農派マルクス主義勢力が駆逐されてしまったことです。歴史的に日本の社会党を引っ張ってきた左翼社民がいなくなってしまった。同時に土井たか子や辻元清美ら右翼社民が台頭した。小選挙区制の結果、政治全体が右にシフトしてしまったんです。

二大政党制は「絵に描いた餅」

佐藤優、片山杜秀『平成史』(小学館)

【片山】労農派マルクス主義勢力とは、つまりストレートに社会主義革命を日本にもたらすことこそが唯一絶対の目標だから、保守勢力との緊張関係は並大抵ではなかった。それに対して社民の右派勢力はもともと社会主義的政策の資本主義へのブレンド率を上げる程度までしか思考が及んでいないから、良くも悪くも安全で、おっしゃる通り、それでは全体としては右シフトしかもたらさない。

つまり、平成のめざした、いや、まだめざしているのかもしれない二大政党制というのは、保革二大政党制ではなく保守二大政党制ですね。日本の政治や経済の基本は明治維新や敗戦後の民主主義化のように革命的にいじる必要はない。現状を尊重しながら政策的に少し左か少し右かで争う程度でうまくゆくだろうと。そういう二大政党にすれば政治のバランスがよくなって安定的繁栄が築きやすくなるというのは、日本の政治風土も歴史段階も無視した「絵に描いた餅」だったと思います。

平成日本のめざした保守二大政党制の根底には、政権交代で政治腐敗を一掃するという発想があるでしょう。政権交代がしょっちゅうあれば、人的にも組織的にも利権が固着してしまうことがない。政策的には近いのだから日本の中身が大幅にいちいち変わって混乱することもない。

端的に言えば、腐敗撲滅が第一で、政党のイデオロギーや主義主張を軽んじている。同じような現実主義的政党が二つあれば日本は安泰だという、本末転倒、意味不明とも言える議論が、あの頃、横行しました。