「職業としての上機嫌」を身につけよう

私は元々身体教育の研究から自身のキャリアをスタートさせており、その延長で、以前から<現代では「職業としての上機嫌」が求められている>ということを述べてきました。

社会学者のマックス・ヴェーバーは「職業としての政治」「職業としての学問」という考え方を提示しました。「職業として」という言葉にはさまざまな意味が込められているのですが、ここでは「情熱、責任感、判断力をもってそれを行うよう求められているもの」という意味だととらえてください。

不機嫌を抑えて人に見せないというのも、本来は私たちの職務の一つです。職場に不潔な人がいたら、周りのみんなは厭(いや)な気分になるでしょう。同じように職場に不機嫌な人がいたら、それもやはり厭な気分になるでしょう。

不機嫌でいると、「感じ悪いな」と思われるだけでなく、「この人、人前でこんなに不機嫌さを出していて、社会人として大丈夫だろうか」と警戒される可能性もあります。単に寝不足や空腹ゆえに不機嫌だったというときも、他人は斟酌してくれません。

だれもが上機嫌を保てるようになるべきだ

以前、教え子のなかに「緊張すると態度が大きくなってしまう」という方がいました。私にとっては接しやすい学生に思えたのですが、インターンに行った先で嫌われてしまって苦労していました。緊張感や不安感のある人が引っ込み思案に見えてしまうのはまだいいのですが、それが他人にとっては傲慢さや不機嫌に見えてしまうことも往々にしてあります。相手からどう見えるかがすべてですから、こうした人も気付かぬうちに不利益を被っていくのです。

本当に不機嫌というわけでなくとも、職務としては合格点をとれていない人は思いのほかたくさんいます。だからこそ私はだれもが上機嫌を保てるようになるべきだと考えているのです。

それこそが私が「職業としての上機嫌」という言葉に込めた思いです。