かつて三井物産社長だった石田禮助氏は、国鉄の総裁を打診されたとき、その激務を無給で引き受けました。背景にはアメリカの「ワンダラー・マン」という精神があったといいます。そんな石田氏の生涯を描いた『粗にして野だが卑ではない』(城山三郎著)を課題図書として、東京大学教養学部の自主ゼミで行われた講義の模様をお届けします――。

「弁解はしない、責任はとる」

『粗にして野だが卑ではない』は、三井物産社長であり、第5代国鉄総裁であった石田禮助さんのことを書いた本です。自分のことを「気分はヤング・ソルジャー、心はウォーム・ハート」と言っていた石田さん。若いうちから大変な読書好きだったそうです。彼が国鉄総裁になり、初めて国会に登院したとき、代議士たちを前に言った言葉が「粗にして野だが卑ではないつもり」というセリフでした。石田さんの心意気を示す言葉であり、彼は長い人生を、ほぼそのとおりに生きました。一人のリーダー像を明示した本として読んでもらいたい本です。

人事コンサルタントの大岸良恵さん。

石田さんは「ワンダラー・マン」という精神を持ち続けました。

「政府に頼まれたり、社会事業に手を貸したり、公職として給与が出ても、形式的に『1ドル』を受け取るだけ。ワンダラー・マンと呼ばれる、そういう男たちがいることが、石田には強い印象になって残った」。城山三郎さんは『粗にして野だが卑ではない』でそう書いています。

儲けること、出世することだけではなく、筋道のあざやかな生き方を石田さんは求め続けていました。

「総裁の実際の仕事としては、いやなこと、総裁でしかできないことだけをやり、決断はするが、実務はすべて副総裁以下に任せる。弁解はしない。責任はとる。それは、これまでの長い支店長生活で一貫して取り続けてきた姿勢でもあった」

「情」や「意」を強く鍛えていないうちに、いきなり権力を握ってしまうと自分だけの利益のために権力を使いがちです。これは石田禮助さんに言わせると「mean(ケチ、しみったれ)」、心ばえの卑しい権力ザルにすぎないということです。情のあるリーダーを目指すのであれば、これから取ろうとする行動が私利私欲のためでないか、「卑」ではないかと確かめる習慣をつけたいものです

プロフェッショナルとは

石田さんは、人生の晩年はパブリックサービスに充てるべきだと、考えていました。「政府に頼まれたり、社会事業に手を貸したり。公職として給与が出ても、形式的に1ドルを受け取るだけのワンダラー・マン」の存在を、若い頃アメリカで知ったからです。

これは、報酬がたったの1ドルだから偉いということではありません。1ドルでも報酬である。報酬をいただく以上は、プロフェッショナルの仕事をしなければならない。そのプロフェッショナル精神を、石田さんは印象深く思ったのでしょう。

わたしの昔のボスもこういう精神を持った上司でした。わずかな報酬で(何万ドル相当の)プロのアドバイスをするパブリックサービスをときおり引き受けていました。プロは自分の力に対して報酬を得る存在です。報酬を用意されたということは自分の力を見込まれたということですから、1ドルでもいただいた以上は手を抜いてはいけない。それがプロフェッショナルだと教わりました。矜持という言葉の意味を知りました。