※本稿は、ハリエット・レーナー(著)、吉井智津(翻訳)『こじれた仲の処方箋』(東洋館出版社)の2章「人をいらつかせる謝り方」を再編集したものです。
【その1】言い訳の畳みかけ
傷ついた側の人は、何をおいてもまず心に響く謝罪の言葉を聞きたいと思っている。そこで、誠意を持って謝罪を伝えたとしても、そのあとにすぐ「でも」と続けてしまうと、せっかくの誠意が帳消しになってしまう。だから、このタチの悪い小さなつけ足しには注意が必要だ。それをしてしまうと、ほぼどんなときでも言い訳に聞こえるか、せっかくの謝罪のメッセージがなかったことにさえなってしまう。
「でも」以下が本当であるかどうかは関係ない。それは本質的に「全体的な状況をふまえれば、私の無礼(あるいは遅刻、嫌みな言い方など)は、そこそこ理解できる範囲のものだ」と言っているのと同じなのだ。
【その2】お気持ちに気づかなかったアピール
「ごめんなさい、あなたがそんなふうに思っていたなんて」という言い方もまた、謝っているようで謝ったことになっていない。真の謝罪とは、自分のしたことから焦点をずらすものではない。ましてや、相手の反応に焦点を移すなどもってのほかだ。
【その3】自分は悪くない可能性を含ませる
これもちょっとしたことだが、“もしも”というのは、相手に自分の反応を振り返らせる言葉だ。「もしも私が無神経なことをしたのなら、ごめんなさい」とか、「もしも私の発言を攻撃的だと思われたのなら、ごめんなさい」などの言い方をついしてしまっていないだろうか。
「もしも……だったら……」と始める謝罪は、だいたいにおいて謝罪になっていない。それを言うなら、「あのときは、言いすぎてしまいました。無神経だったことについてはおわびしますし、二度とこのようなことがないように努めます」という言い方のほうがいい。
「もしも私が……だったのなら、ごめんなさい」という言い方は、相手を見下した印象を与えてしまうこともある。あるチーム・ミーティングでのこと、私のクライアントのひとり、チャールズは、“女脳”についての笑えないジョークを言ってしまったのだそうだ。ミーティングが終わったあとで、チャールズは上司である女性にこんなふうに言った。「もしも私の発言で、ご気分を害されたのならごめんなさい」と。
すると、こんな答えが返ってきた。