なお、人事評価において加点主義を採用するか、それとも減点主義を採用するか、そのいかんをマクロな視点で捉えるとこんなことが言える。

減点主義が、緻密に定義されたあるべき人材要件を基準として行われるということは、そもそもビジネスの基盤が安定(硬直化)し、仕事もおおよそ定型化してしまっているということなのである。

もちろんこれは、他業種や新興産業などとの比較においての話であるし、銀行内に存在するすべての業務がルーティーンだとは言わない。だが、不正や犯罪につながるような行為を防ぐためにあらゆる業務を「見える化」し、厳格な統制下に置いた上で行われる仕事とその成果に関する組織的理想は、誰が同じ仕事を手がけても同じ手順で、同じ判断で、同じ成果になることを目指すということなのだ。

そして当然であるが、このようなインフラビジネスの担い手である行員は、みな組織的理想の実現を絶対視するよう刷り込まれていく。

「何もしないこと」に慣らされた行員たち

では、このような刷り込みを受けた行員のベストな立ち居振る舞いとはなにか?

そう、組織感覚力に優れた行員のベストな選択は、極端にいえば、日々大過なく勤務時間を終えること、すなわち定型業務をそつなくこなす以外は「何もしないこと」だ。

当然だが、そこには新しいことにチャレンジしようという発想はないし、そういうモチベーションも生まれにくい。むしろ、ミスをすれば評価が下がるような発想や行動などはもってのほかなのである。

だが、いまやAIの時代である。AIは安定したビジネス基盤や定型化された仕事が大好物だ。「仕様」の定まった仕事はなんでもAIに取り込まれ、AIのほうが優れた仕事をするようになる。

そうして銀行がたどり着いたのが、最近のリストラ策の公表と行員の転職希望者の急増である。

一部の銀行の内情は、あくまで筆者の知る限りではあるが、もっと以前から悲惨な状況だった。

これは実際に、地銀から民間の事業会社に転職した人物から聞いた話である。

銀行の支店において支店長の存在は今でも絶対であるが、某地銀の支店長が構える応接室には、いまだに竹刀が置かれているそうだ。そして夜の8時くらいになると支店長の腰巾着ともいえる課長が営業成績不良者に声をかけ、その応接室に連れていかれ、支店長が竹刀を片手に折檻をはじめるというのだ。