ルールに従う生き方は、成功を生まない。良くも悪くも両極端を排除するからだ。おおむね安泰で負のリスクを排除するかわりに、目覚ましい功績の芽も摘んでしまう。ちょうど車のエンジンにガバナー(調速機)をつけて、制限速度を超えないようにするのと同じだ。致死的な事故に遭う可能性は大幅に減るが、最速記録を更新することもなくなる。

ルールに従い、いつも安全策を取る者が頂点を極めないのなら、ひとかどの成功者になるのはいったい誰なのか?

国を救った「危険人物」

ウィンストン・チャーチルはイギリスの首相になるはずがない男だった。

“すべて完璧にこなす”政治家とほど遠い彼が首相に選ばれたことは、衝撃的な出来事だった。たしかに切れ者ではあるが、その一方で偏執的で、何をしでかすかわからない危険人物というのがもっぱらの世評だったからだ。

チャーチルは26歳で英国議会議員になり、政界で順調に頭角を現したが、次第に国家の要職には適さない人物だと見られるようになった。60代を迎えた1930年代ともなると、その政治的キャリアは事実上終わっていた。いろいろな意味で、チャーチルは前任者のネヴィル・チェンバレンの引き立て役に甘んじていた。チェンバレンといえばすべてを完璧にこなす、まさに典型的なイギリス首相だったからだ。

イギリス人は、首相をうかつに選んだりはしない。たとえばアメリカの大統領と比べて、歴代の首相は概して年長で、適性を厳しく吟味されて選ばれるのが通例だ。異例の早さで権力の座に上りつめたジョン・メジャーでさえ、アメリカ大統領の多くに比べ、首相職への備えができていた。

チャーチルはただ独り、ヒトラーの本質を見抜いていた

チャーチルは、異端の政治家だった。愛国心に満ち溢れ、イギリスへの潜在脅威に対してパラノイア的な防衛意識を貫いた。ガンジーさえも危険視し、インドの自治を求める平和的な運動にも猛反対した。チャーチルは自国を脅かすあらゆる脅威に声高に騒ぎたてるチキン・リトル(臆病者)だったが、まさにその難点ゆえに、歴史上最も尊敬される指導者の1人となった。

チャーチルはただ独り、早い段階からヒトラーの本質を見抜き、脅威と認識していた。一方チェンバレンは、ヒトラーは「約束をしたら、それを守ると信じられる男」という考えで凝り固まっていたので、宥和政策こそナチスの台頭を抑える方策だと確信していた。ここぞという重大な局面で、チャーチルのパラノイアが本領を発揮したといえる。いじめっ子に弁当代を渡したら最後、もっと巻き上げられるだけだ、奴の鼻を一発ぶん殴らなければならない、と見抜いていたのだから。

チャーチルの熱狂的な国防意識――危うく彼の政治生命を滅ぼしかけた――は、第2次世界大戦前夜のイギリスになくてはならないものだった。そして幸運にも国民は、手遅れになる前にそのことに気づいた。

エリック・バーカー
大人気ブログ“Barking Up The Wrong Tree”の執筆者。脚本家としてウォルト・ディズニー・ピクチャーズ、20世紀フォックスなどハリウッドの映画会社の作品に関わった経歴をもち、『残酷すぎる成功法則 9割まちがえる「その常識」を科学する』は、初の書き下ろしにして全米ベストセラーに。
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