荒唐無稽とも言える物語である。
少年時代に朝鮮半島から体ひとつで海を渡ってきた“お父やん”は、日本の地で懸命に働き、家族をもうける。戦後は興した事業も順調だったが、待望の男子“僕”が生まれたその年、朝鮮戦争が勃発する。戦火の故郷には、愛する妻の家族がいる。日本帰りで左翼思想を持つ義弟“オジさん”は、鶏小屋下の穴蔵で隠遁生活を強いられているという。泣き崩れる妻に、お父やんは一言「心配するな。何とかしてみよう」と言い残し、哨戒艇ひしめく海を再び半島へと向かっていく……。
現代を生きる我々にとって、にわかには信じがたいこの壮絶な救出劇は、驚いたことに、伊集院氏の家族に起こった“奇跡のような真実”の物語なのだ。
「父は何も語りませんでしたし、私自身、大人になるまで、その当時、何があったのか知らなかったんです。母やこの本にも出てくる番頭の話を寄せ集め、実際に韓国の山を歩き、徐々に真実が見えてきたんです」
いわゆる自伝的小説の枠を大きく飛び越えたこの冒険譚に、読み手は一体どこまでが真実でどこからがフィクションなのか、夢と現うつつの狭間を彷徨うことになる。そして次第に、物語に内在する蠢くような“真実”の生命力に強烈に引き込まれていく。
それにしても、失敗すればいつ射殺されるかわからない戦場に、お父やんはなぜ一人突入したのか。「それは私にもいまだにわからないんです。ただ、彼がそこまで強靭な精神力と勇気を持てたのは家族への愛、それしかないと思うんですね」。
伊集院氏は「だからこれは決して奇跡の物語ではない」と語る。「誰かを深く愛したとき、赤ん坊の無垢な瞳を初めて見たとき、人は誰でも、自分でも知らなかった、とてつもない強さを持つ。そして、今の若い人にもそれは必ずあると僕は信じているんです」。
本書の中で何度も繰り返される言葉は「生きろ」だ。
「学のないお父やん、イデオロギーに生きたオジさん。でも人に与えられた使命は、思想より何よりも生きること。生きてさえいればきっと光は見つかる。この本で僕が伝えたかったのは、そこに尽きるんです」
本書執筆中、伊集院氏は父上を亡くされた。『海峡』3部作で描いた実弟の死、前妻・夏目雅子氏の死。還暦を迎えたという作家は、その巨躯に抱えた数々の哀しみを、今、600ページを超える大作をもって、生への絶対的な賛歌へと昇華させた。