「稼ぐ力」は個人個人で異なるし、選び方も人それぞれだ。高校を出た立派な“大人”が自分の判断で「人より稼ぎたい」「同期よりも収入を5倍に増やしたい」と考えるなら、自分への投資は自分でするべきだ。カネがない人は借金をしてでも自分に投資する。本当に必要なのは無償化ではなく、低利の教育ローンの拡充だ。

大学を「稼ぐ力」を身に付ける場所と定義

親元を離れて一人暮らしをすれば生活費もかかるから、授業料も含めて年間300万円くらいは借金するとして、4年間で1200万円。1200万円の借金から人生がスタートする。しかし大学に行かなかった人よりも極端に言えば「稼ぐ力」は2倍、3倍になっているはずだから、借金は確実に返せる。自分の身を切る以上、真面目に勉強するから、投資がペイする可能性は高い。

優秀な人には奨学金を出してもいいが、それは政府が出すのではなく、投資家が出すべきだ。ハーバード、MIT、スタンフォードなどでは、卒業生の篤志家などから基金を募って、そこから奨学金を出している。

ともあれ大学教育の自己負担については、私は妥協の余地はないと思っている。そこで大事なのは親の稼ぐ力を子供の稼ぐ力に直結させないこと。貧富の差が稼ぐ力につながることはやめなければならないと私は思っている。大学の費用を親が出すにしても、親が保証人になって銀行から本人が融資を受ける形にして、あくまで本人が銀行にローンを返済する形を取るべきだ。

大学院に進んだ場合も、より稼ぐ力をつける目的なら自己負担が原則。ただしドクターコース(博士課程)で、深い研究に関わる場合には、公的な支援があっていい。この分野は国の研究開発、あるいは地方の産業育成など国力に関わってくるので、きちんと奨学金を出して税金でバックアップする必要がある。

高校までを義務教育として、大学を「稼ぐ力」を身に付ける場所と定義すると、教育無償化の議論はスッキリする。幼児教育、義務教育は完全無償化。大学教育は自己負担。無償で大学に行けたら、行かなくてもいい人まで大学に行こうとする。高校を義務教育にして無償化する場合の財源は、それほど難しくない。