中国の不動産バブルをクラッシュさせないことの最大の罪、それは生活の土台となる住宅がいまだ投機の対象になり続けていることにあると言える。

一方、日本には公営、公団などによる「団地」の歴史がある。戦後の住宅不足を低家賃の住宅建設で解消するべく普及した集合住宅である。都心では、70年代を前後して新築した家に引っ越す家庭が多く見られたが、みな、こうした住宅に住みながらコツコツと頭金を蓄えていたものだった。

中国で住宅の現物支給は打ち切られたことは前回述べたが、その後、公共政策による低・中所得者向け住宅はほとんど普及しなかった。先に民間デベロッパーによる不動産バブルに火がついて地価が高騰してしまったため、地方政府も開発業者も「儲けにならないプロジェクト」に背を向けたのである。いくつかの低・中所得者向け住宅が供給されても、そこに入居できるのは「役人にコネのある者」だった。

地元上海人ならば所属工場が支給した住宅に住めたが、上海市の人口の大部分を占める外省人にとって、上海の住環境は屈辱的だった。中国の賃貸市場では「賃貸人」が保護されるため、「明日出ていけ」もまかり通る。そんな粗末な賃貸住宅からの脱出は彼らの悲願でもあったが、毎年上昇する住宅価格に「マイホームの夢」はますます遠ざかる一方だった。

富の再分配が進まない構造

こうして「持てる者」と「持たざる者」が分かれた。これを構造的なものに定着させたのは不完全な課税制度である。中国ではいまだ相続税が実施されていない。相続税は建国当時から法律に盛り込まれているものの、いまだ保留扱いのままだ。その理由は2013年時点で、中国では統一された個人財産の登記制度が実施されていないためでもある。

他方、日本ではどうかと言えば、皇族だろうが、官僚だろうが、あるいは現金を持たない世帯だろうが、相続税は例外なく厳格に課税される。美智子妃殿下が33億円の資産を相続できなかったため、正田邸は公園になってしまったというのは有名な話だ。

日本は「長者に三代なし」と言われ、最終的には三代で資産がなくなってしまうと言われているが、それほど日本の相続税は厳しく、不動産を所有するほど課税が増えるしくみになっている。逆に言えば、中国では富は一極に集中し、富の再分配が進行しにくい構造になっている。