なぜ奈良県の合格実績は際立っているのか

滋賀にかなりのフォーカスを当ててきたが、客観的に都道府県ランキングを再び見ると、注目すべきはやはり奈良であろう。東大ではお膝元東京に続き2位、京大・阪大ではお膝元を抜いて1位である。その要因は東大寺学園・西大和学園の二強の私立だ。

東大で見ると、東大寺学園が26人、西大和学園が35人という実績を誇る。東大寺学園は大正時代に建てられた、元々僧侶の子弟を教育するための学校である。このあたり、酒屋の杜氏(とうじ)の子弟の教育を目的に設立された灘と似ている。しかし、東大寺と言えば古くは南都六宗、さらに真言・天台を合わせた「八宗兼学」の場であり、学問をする場としての歴史は他を圧倒している。対照的に、西大和学園は、戦後に地元の有力政治家が建てた新しい学校である。途中で「日本一の進学校」を目指して改革を行い、一気に実績を伸ばした。

藩校由来の県立高校を有する滋賀とは好対照をなしている。前項で述べた藩校のような地域との結びつきが、強くないのだろう。実際、東大寺学園出身者によると「大阪府民と奈良県民が同じくらい」いたという。西大和学園出身者も「5割大阪、2割兵庫、奈良は2割弱という印象」と語る。奈良県外でもしっかりとブランドを築いているのだ。

近視眼的にも、中高の時点で県外まで通わせる家庭の方が、子供を東京に送り出すことに対するハードルは当然低いと考えられる。

首都圏内にも差

関西のローカルトークが長引いたので、最後に首都圏に着目したいと思う。東京隣接県の格差である。おおよその比で言うと、神奈川:千葉:埼玉で3:2:1である。神奈川と埼玉の差はどこで生まれたのか。

神奈川の実績を引っ張るのが栄光学園、聖光学院の二校である。一方の埼玉のトップは県立浦和である。私立が強いために差が生まれているのは歴然だ。ではなぜこうした私立高校が埼玉ではなく、神奈川にあるのか。

それは明治時代、外国人が来たのが横浜だったからだと考えられる。栄光学園、聖光学院はいずれもキリスト教系の学校であり、外国人による寄与が大きい。実際、栄光学園の母体であるイエズス会の学校は、東京(上智大学)と、開港地である兵庫(六甲学院)、そして神奈川にあるのだ。一方、聖光学院はまさに居留地があった山手地区に立っている。神奈川に女子校が多いのは、日本の男女不平等を問題視して女子教育に力を入れようとした外国人のおかげかもしれない。学校を私的に立てる場合、やはり宗教関係か商売人であることが多い。そして、彼らはやはり自分の知っている場所に学校を建てたのだ。

東大は日本最高峰なのか

話が大きく脱線してしまったので元に戻そう。今回は東大・京大・阪大の都道府県別合格率を分析した。どの大学を受験するか、については本人から見れば親や高校の影響が絶大かもしれない。しかし、その背景には歴史的な人・物の流れがあると思う。

大学受験というと、高校生の時には偏差値という一本の軸によって輪切りにされた単純な階層構造に見えがちである。しかしその奥には歴史の流れがあり、話はそう単純ではない。東大がトップであるのは、あくまでその一本の軸においてである。

つまり、東大と京大と阪大、そしてその他の大学ではそれぞれ役割が異なるのだ。具体に言及するのは難しいが、官僚養成学校の流れをくむ東大と、緒方洪庵の適塾に端を発する阪大で、気風や強み弱みが全く異なるのは自然の理である。当然ながら上位互換、下位互換ではない。

最後に再び関西の東大合格率を概観する。滋賀・大阪が低く、京都・奈良が高い。

自分自身、滋賀出身というアイデンティティを持ち、中高の間は京阪神地域を毎日横断していた。毎日京都を2回通っていたわけで、京大の方が自分にとって親和性が高かったかもしれない。しかし、「全国から人が集まっている東京」という地理的な強みに魅せられ、東大に進学した。実際に、多様な地域から来た多様な人々にお会いする機会に恵まれている。

これからも、この東京で、あるいは各地に出向いていくことで多様な人々にあって知見を広めたいと強く思う。

小坂真琴(こさか・まこと)
1997年生まれ。滋賀県大津市出身。滋賀大学教育学部附属小学校-灘中-灘高校。現在は東京大学理科三類に在学中。