同心円状の京大に対し、西に偏る阪大

滋賀のローカルトークが長くなりすぎた。

続いて京大と阪大の合格率を見てみよう。京大は京都を中心として、ほぼ同心円状に合格率が下がっていくのに対し、阪大合格率は明らかに西高東低となっている。東は岐阜・静岡を境に軒並み0.1%以下になるのに対し、西は宮崎、鹿児島に至るまで0.15%以上を維持している。

海路の大阪、陸路の京都

これも滋賀と京都・大阪の結びつきと同じく、歴史的な物流、人の流れから分析したいと思う。

注目すべきは、京都が古都であるために、街道の発着点となっていることであろう。東日本から主要な街道に沿って関西に向かうと、その終着地は三条大橋である。石田三成が晒し首にされた京都のメインストリートだ。一方で、大阪は海に面しており、港として機能していた。つまり、滋賀のくだりで述べた、若狭-琵琶湖-淀川のルートと、瀬戸内海から通じる西日本各地の沿岸部とのルートを持っていたのだ。

海路を使えば日本全国いけるのではないかと考えるかもしれない。しかし江戸時代は、諸藩が力を持ちすぎるのを避けるために江戸幕府が船のサイズを制限していた。外洋である太平洋を航行するにはリスクが高かったのだ。瀬戸内海を通り九州に至るルートは基本的に内海である。

この観点でランキングを見直すと、ごく自然に納得がいく。京都は、京都を出発点とする各街道を持ち、四方八方から人が来るのに対し、大阪は船運でつながる水路の京都滋賀と、海路の西国各地との行き来が容易なのだ。

薩摩と大阪のご縁

ここでは九州南端・薩摩に特に注目したい。個人レベルでもその結びつきは明確にある。例えば、明治時代に大阪を立て直し大阪商工会議所の初代会頭になったのは薩摩の五代友厚である。朝の連続テレビ小説でディーン・フジオカが演じて人気を博した人物だ。このことは、「維新で勝利した薩摩が、日本の主要地でも実権を握った」と理解すれば良いのだろうか。実は薩摩と大阪の結びつきはもっと深い。

正月三ヶ日には250万人以上が訪れる関西屈指の初詣スポット、住吉大社にその答えがある。境内にある「誕生石」という石の集まりだ。源頼朝の寵愛を受けた丹後局がここで出産したという言い伝えによるスポットである。その、丹後局が産んだ子供こそ、薩摩を長きにわたって治めた島津家の始祖・島津忠久なのだ。現在も、島津家では住吉大社で薩摩琵琶の奉納を行っている。大阪は島津発祥の地として、今に至るまで大事にされている。

なぜ滋賀の人は東大より京大に行くのか

ここまで、歴史的な人・モノの流れと、今ある高校の特徴という両面から分析を試みた。この両者の接点というべき、今ある高校の歴史について仮説を立ててみたいと思う。

京都で東大・京大・阪大に多くの合格者を輩出しているのが、洛南・洛星高校といった私立高校だ。いずれも宗教が背景にある。洛南の前身は真言宗の教育機関、洛星は満州国にあった、カトリックの修道会が運営していた中学校に端を発する。

一方で、滋賀は公立高校が強い地域である。代表的な高校の歴史を見てみよう。膳所は膳所藩藩校「遵義堂」の跡地に建てられている。また、彦根東は18世紀末にできた彦根藩藩校の流れをくんでいる。立地としても、国宝である彦根城の、お堀の内側に位置している。つまり、いずれも江戸時代以来の「藩」の流れをくんでいる。

江戸時代から地元で人材を育成するシステムはあったはずである。移動できないことが前提であるとすると、地域内で完結させる必要がある。だからこそ、藩のDNAを受け継ぐ高校の生徒が地元の大学に向かうのは自然なのだろう。