このまま憲法を変えなければ非常事態に何が起きるか!?

憲法の力の根源について憲法学者は小難しいことを言うが、本質的なところは「憲法を守らなければならない」という社会の雰囲気と、そのような社会の雰囲気を背景とした憲法の文字・文言である。それらが強烈な力を発揮する。ゆえに立憲主義国家を成立させるためには憲法の字句の解釈にこだわらざるを得ない。

ところが安全保障の領域において「憲法を守って国家が滅んでいいのか」「憲法の字句解釈に囚われるべきではなく、現状の安全保障環境を基に国家がやるべきことを考えるべきだ」という問題提起がある。しかし憲法を守らなければならないという社会の雰囲気がちょっとでも壊れれば安全保障の分野に限らず、あらゆる社会領域で権力の暴走が始まる危険が高まるんだよね。

権力の暴走を止めている憲法の力の根源は、「憲法を守らなければならないという社会の雰囲気」と「紙に書かれた文字」という何とも脆弱なもの。したがって「憲法を守らなくてもいい」というような雰囲気は少しのものであっても徹底して排除しなければならない。

以上から、社会の実態に合わないからと言って憲法の文字・文言を軽く扱ったり、無視したりすることは絶対に許されない。つまり立憲主義国家を維持するためにはどうしても憲法の字句解釈にこだわらざるを得ない。それはたとえ国家の命運の分岐点にもなる安全保障の領域においてもだ。もちろん国民の生命財産を守るために権力者が最後の最後に憲法に抵触する行為をする場合もあるだろう。ただそれは普段は字句解釈にこだわり続け、最後には権力者が全責任を負った上で憲法に抵触する行為をするという非常事態であって、字句解釈を軽んじる話ではない。また別の機会で論じるけど、こういう考えの下、僕は非常事態をあらかじめ想定して内閣に強大な権限を事前に与える非常事態条項を憲法に入れることには反対だ。権力者にはギリギリまで憲法解釈を意識させ、最後の最後のところでは憲法に抵触することがあったとしてもそれは仕方がないというのが持論。あくまでも権力者にはとことん憲法の文言・文字を意識させる。

他方、社会の実態からかけ離れた憲法の文字・文言はその都度変えていくべきだ。なぜなら変えることが大変だからと言って憲法の文字・文言をそのままにしておくと、社会の実態に合わない文字・文言は結局のところ無視されるか、軽く扱われることになるからね。憲法が軽く扱われてしまう雰囲気が少しでも生じると憲法の力があっという間に弱まってしまう。それくらい憲法の力の根源は脆弱。今の日本国憲法9条はそのような危機的状況になっている。

憲法というのは最高権力者の権力を縛るという強烈な力があるにもかかわらず、その力の根源は非常に脆弱だというのが憲法の本質。憲法学者をはじめとする自称インテリたちはこういう切り口では憲法を語れない。これは権力を実際に預かり、憲法も学問的に追求してきた僕の専売特許だね(笑)

※本稿は、公式メールマガジン《橋下徹の「問題解決の授業」》vol.69(8月29日配信)からの引用・再編集版です。もっと読みたい方は、メールマガジンで!! 今号は《守らなければならない。だから変えるべき――僕が考える憲法改正》特集です。

(撮影=市来朋久)
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