安倍首相が断行した内閣改造を受けて、内閣支持率は30%未満の危険水域を脱した。その後の安倍首相は「最優先すべき仕事は経済再生」と述べ、憲法改正については「日程ありきではない」と低姿勢を貫く。本当に改憲を断念したのか。その裏にある「3つのシナリオ」を、ノンフィクション作家の塩田潮氏が読み解く――。

改憲「安倍カレンダー」の方針転換?

内閣改造の2日後の8月5日、テレビ番組に出演した安倍晋三首相は、自民党独自の憲法改正案を今秋の臨時国会に提出するかどうか、質問を受け、「日程ありきではない」と答えた。3日の改造の後、記者会見でも「憲法をめぐる議論を深めていく必要があるという考えから改憲のスケジュールについて一石を投じた。だが、スケジュールありきではない」と述べていたが、自民党案の取りまとめでも、期限にこだわらないという姿勢を示した。

首相は6月24日、神戸市での講演で「臨時国会終了までに自民党案の国会提出を」と語り、独自の「安倍カレンダー」に沿って、改憲スケジュールを打ち出した。だが、改造を境に、事実上、方針を撤回したと受け止めた人も多かった。

原因は内閣支持率急落に表れた「民意の安倍離れ」と見て疑いない。それにしても急転換だ。安倍首相は「在任中の改憲実現」を政権の最大の達成目標と位置づけてきたが、再登板から4年余、初めて襲った低支持率はよほどこたえたのだろう。

支持率低下は4月から始まったが、6月に大幅下落が明らかとなった。6月、森友・加計の両疑惑や閣僚の失言・失態などの問題を背負ったまま、会期を延長せず、「臭いものに蓋」で、半ば強引に通常国会を閉じた。7月2日、東京都議会議員選挙で、自民党は歴史的な惨敗を喫した。だが、首相は9日、外遊先のストックホルムで「次期国会終了までに自民党改憲案を提出するのは可能」と同行記者団に語る。強気の姿勢を崩していなかった。

ところが、帰国後の14日、時事通信の調査(7~10日実施)で、内閣支持率がレッドラインといわれる30%を下回って29.9%まで落ちた。首相は7月後半、ついに方針転換を決意し、8月3日の改造と同時に前言撤回を、と腹を固めたようだ。