したがって、共同体への貢献は特定のある共同体への貢献にとどまりません。理想主義者であるアドラーは、それほど理想的な「共同体感覚」を求めていたのです。
共同体に所属する人の観点で言えば、特定の組織や誰かから承認されればいいというわけではなく、常により大きな共同体の利害を念頭に置いて行動しなければなりませんし、嫌われようと何をしてもいいというようなことにももちろんなりません。
共同体への貢献と言う時、その貢献によって得られる「貢献感」は、決して他人から押し付けられたものであってはいけません。貢献感も、共同体と同じくアドラー心理学のキーワードの一つです。貢献感を持てば自分に価値が感じられ、自分に価値を感じられれば、課題に取り組む勇気を持つことできる。この貢献感は自らの内側から得られるようにならなければ意味がありません。
つまり、働くことでも、勉強でも、老いた親への介護であっても、自分が「貢献している」という実感を持つことが大切なので、貢献感は決して他者から強いられたものであってはいけないのです。
会社という共同体をどう考えるか
アドラーが使う共同体という言葉はドイツ語ではゲマインシャフトです。これはゲゼルシャフトと対比して使われます。簡単に言うと、ゲマインシャフトとは家族や地縁といった共同体組織です。ゲゼルシャフトとは、会社をはじめとする産業や文明での営みを前提とした、人為的目的をもって作られた機能的な共同体です。
この区別に従えば、会社組織は、ゲゼルシャフトです。しかしながら、特に日本の企業は、組織への「貢献」や「忠誠」や家族的なつながりを求めた、ゲマインシャフトのような――あくまでも「のような」――あり方を続けてきました。
ところで、先に見たように、アドラーは、共同体=ゲマインシャフトという言葉を使っていますから、会社組織という共同体もゲマインシャフトになります。これはどう解すればいいでしょうか。
私の父は昭和ひと桁生まれの会社員でしたが、父の会社では元旦に社員一同が集まって年頭の挨拶をする慣習がありました。