ベストセラーゆえ生まれた「誤解」
『嫌われる勇気』が世の中の多くの人に読まれていることは、とてもうれしいことです。しかしながら、一方で、気がかりなこともあります。それは、アドラー心理学に対する誤解が広まっているのではないか――ということです。
なかでも特に気になるのが、「共同体への貢献」という考えへの誤解です。
そもそもアドラー心理学は非常にシンプルなので、かえって誤解されやすい心理学です。正しく理解するには、3つの方法があると私は考えています。
それはすなわち、対話形式でまとめられた本を読むこと、質疑応答の形になった本を読むこと、そして、アドラーの原著にあたることです。
『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(いずれもダイヤモンド社)は、対話篇としてまとめたものです。質疑応答については、私は講演会でも長い時間をとることがあります。SNSでのやりとりもしてきました。
しかし、最後の原著にあたることは、なかなか難しいものです。
原著がそもそも誤解されやすい
アドラー心理学が誤解を受けやすい理由の一つが、この原著の作り方にあります。アドラーには多数の著書がありますが、アドラーは書くことにあまり執着がなかったため、その多くが「聞き書き」であり、講演録を編集者がまとめたものが多いのです。
それゆえ、原著といえども、各章の問題のつながりがはっきりしなかったり、重複していたりして、必ずしも整合性がない箇所があります。これではなかなか正確な読み解きはできません。
ですので、新著『アドラーをじっくり読む』では、代表作をいくつか選んで、概要を紹介しました。実は、本書のタイトルを当初『アドラーを正しく読む」にしようという案もありました。それくらい、これまでアドラーの著作が「正しく」読まれていない、と痛感していたからなのですが、まずは「じっくり」読むことが必要だと思います。
もとより、私の解釈なので、私とはまったく異なった読み方をする人はおられるでしょうが、今後、原著を読む時の「羅針盤」のような役割を果たせたらと思います。