時代とともに「変化」も必要

山笠の流は、ひとつの地域社会だ。

たとえば、大野の属する大黒流は、川端町、寿通など、12の町内で構成される。町内ごとに、赤手拭、若手頭、衛生、取締という役職がある。その上の町相談役、町総代という役職の年長者が若手ににらみを利かせる。流全体にも、流相談役、流委員、流監査などの役目がある。

ひとつの流あたり500〜1000人ほど。その流が七つ集まって、山笠は構成されている。

中洲流の子どもたち。彼らが次代の山笠を担っていく(撮影・比田勝大直)

ヒエラルキーは、役職によって厳然と定められている。そして、役職が与えられる際の判断基準は「町内や流のために働いていること」「集団をまとめられるリーダーシップをとっていること」。

 筆者は昨年、川原正孝から山笠について詳しく話を聞くことができた。 正孝が最も強調したのは「山笠には世間の肩書きは通用しない」ということだった。たとえば、ある企業の40代社員が、20代の部下の参加する流に参加したとする。その場合、20代の部下が先輩だ。

「山笠の社会に入れば、山笠の経験だけが物差しです。たとえ部下であろうと、年齢が下であろうと、山笠に長く出続けている人、山笠の役職についている人が目上です。世間の肩書きが通用しないのが山笠の魅力なんです」

地域の無病息災を祈る神事・山笠を成功させるという目的のもとに数百人の男たちが、山笠への貢献度というシンプルで合理的な基準で選ばれたリーダーのしたで、切磋琢磨しながら7月15日の追い山を目指して自分たちを追い込んでいく。

会社と違って、給料が払われるわけでもない。掟は厳しい。理不尽もままある。つまるところ、人とのつながり、絶頂感、幸福感など、山笠からしか得られない、形のない「何か」を知ってしまった人たちが、山笠を人生の真ん中に据え、山笠を起点にした暦を手に、1年1年を積み重ねていく。 

新入社員の岡崎や本田が1年目から山笠に出ることができるのは、大野らバイトから始めた社員が仕事と山笠は両立できることを結果で示してきたからだ。現在マーケティング部で商品開発に携わる大野は、店舗勤務をしていたときは、繁忙期の残業を自らかって出るなどしてパート社員の働きやすい環境づくりに努めた。

大野も、岡崎や本田と同じく、山笠の先輩に憧れて山笠を続けてきた。

先輩の姿を見て、あんなふうになりたいと思った先に赤手拭があった。だが、最近、若い世代の中には「大変そうだから」と赤手拭を目指したくない空気を感じることがある。

「山笠を次につないでいくためには、僕らがカッコいい姿を見せないと。山を舁く姿や台上がりの姿、町内をとりまとめる姿を見て、あんなふうになりたいと思ってもらえるようにする責任が、僕らにはあります」