▼西田幾太郎
石川県河北郡宇ノ気村(現・かほく市)生まれ。京都学派の祖。1886年、石川県専門学校(翌年、第四高等学校に移行)に入学。同級に、生涯の友となる鈴木大拙がいる。1891年、東京帝国大学文科大学哲学科に選科生として入学するが、本科生に比べて差別的な扱いを受けたという。卒業後、金沢第四高等学校の講師、学習院教授を経て、1910年に京都帝国大学助教授に就任。1945年、75歳で死去。
▼田辺元
東京神田猿楽町(現・千代田区)生まれ。東京帝国大学数学科に入学後、哲学科に転科。卒業後は、大学院に在籍しながら、母校、城北中学で教鞭を執る。東北帝国大学講師を経て、西田幾多郎の招聘により、1919年に京都帝国大学文学部助教授就任(27年より教授に就任)。終戦の直前に退官し、北軽井沢に隠棲。西田幾多郎とともに、京都学派の基礎を築いた。1962年77歳で死去。