なぜ、こんなところに杉並区は特養をつくったのか。平成27年3月27日に杉並区広報課が発表した「全国初の自治体間連携による特別養護老人ホームを南伊豆町に整備します!」との資料内に、「南伊豆は平均気温16℃の温暖な土地」「豊かな自然」「新鮮な魚介類」と宣伝文句が書かれている。それぞれ検証していこう。
まず、平均気温だ。気象庁HP記載の気象データによれば、南伊豆(石廊崎)の過去3年の平均気温は16.9℃で、記載に誤りはない。しかし、東京の平均気温は16.4℃だ。南伊豆が特別暖かい地域ではなく、平均湿度が77%と高いことでむしろ東京より過ごしにくい環境になっている恐れがある。また、南伊豆の「豊かな自然」と聞いて、海を思い浮かべる人は多い。しかし、施設は山奥にあり、施設から海は見えない。要介護度が高い入所者は寝たきりで、海の見えるところまで連れて行ってもらうのは大変だろう。区の担当者は「名物の桜が咲く」と強弁するが、杉並にも桜は咲いている。人生の最終盤になって、自分が毎年見てきた桜より、遠方の「名物の桜」がいいとする感性に違和感を抱かざるを得ない。
南伊豆に「新鮮な魚介類」が存在しているのは確かだ。しかし、入所者が食べるのは誤嚥性肺炎を防ぐため、ペースト状の食べ物であったり、そもそも「胃ろう管理」で口から栄養を補給できない状態であったりするケースが多い。新鮮な魚介類が食べられるから、自分の家族を南伊豆特養へ送ると幸せになれるというのは、全く事実ではないのだ。南伊豆の自然や食を、入所者が満喫できると考えるのは、健常者の想像力の欠如である。わかっていてそれをアピールしているのであれば、杉並の広報誌は言語道断のミスリードを行っていることになる。
そもそも国の方針からもズレている
「区民アンケートでも南伊豆特養へ入所を希望する人は多い」(区の担当者)というが、以上のような実態が明るみになったとき、果たして入所希望者が現れるのか。匿名を条件に、杉並区内の特養施設へ、「南伊豆特養へのご意見」を募集したところ「遠方ゆえ、頼れる身内がいない方、特に生活保護受給者の入所が多くなるのではと思います」という回答があった。区の担当者に施設への懸念や「ここが姥捨山になる危険はありませんか」と伝えたところ、「最終的には本人の希望によって入所することになるのでその批判(姥捨山)は当たらない」とした。23区の元・高齢者担当課長はこう解説する。
「特養の入所者は、認知症がかなり進んだ高齢者がほとんどです。通常の判断などできませんから、結局『周囲の人間』が『本人の意思』を決定することになる。もし、施設に問題があれば家族は入所を望まないでしょう。結果として、身寄りのない生活保護者が、ケースワーカーの『紹介』という名の事実上のあっせん行為によって、どんどん放り込まれていくことを懸念しています。実際にそういう施設は都内にも実在しています。倫理的なことは横に置いて、特養が不足しているのだから、どこかにつくってしまえば、待機者の数は減ります。行政にとっては都合がいい施設なのでしょう」
この話が事実とすれば、認知症がどんどん進み、自分の老後資金が底を尽いてしまったとき、助けてくれる家族がいなければ、「姥捨山」に放り込まれて余生を送ることになってしまう。認知症が進みながらもかすかに残った意識の中で、自尊心はズタズタになり、さらには自分が半生を過ごした愛着のある地域から遠く離れたところで、縁もゆかりもない赤の他人に看取られるのは悲しすぎるのではないか。
「そもそも杉並区がおかしいのは、国の方針からズレている点です。国の方針では、『高齢者の尊厳の保持と自立生活の支援の目的のもとで、可能な限り住み慣れた地域で、自分らしい暮らしを人生の最期まで続けることができるよう、地域の包括的な支援・サービス提供体制(地域包括ケアシステム)の構築を推進』となっています。国の指針は、杉並と南伊豆のように県境を2つも越える連携を想定していない」(前出・堀部議員)
杉並区の暴走が、国の指針からも明らかになっている。
「南伊豆の健康学園を廃止したことで、南伊豆の業者から陳情が杉並区にあったのは事実です。山田宏前区長による健康学園廃止方針の決定後も、強い陳情があったことで南伊豆の事業は残置された。当初、静岡県も南伊豆特養について反対の立場でしたが、杉並区が多額の負担をすることや南伊豆が受け入れに積極的なことから事業が進むことになったのです」(区役所関係者)