情報過多の時代 子どもはことばを「受け流す」

現代を生きる子どもたちは「ことば」にあまり触れていないのだろうか。とんでもない。話は正反対である。テレビや雑誌類、ネット上には実に数多くのことばに溢れている。「情報過多」などといわれる昨今、子どもたちが1日で目にする情報量は江戸時代に生きた人の一生分だという見方がある。また、その総量は文庫本約170冊分に相当するという学説もある。

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はなはだ逆説的ではあるが、子どもたちはことばによる情報があまりにも多過ぎるため、流れてくることばを「受け流す」術を無意識のうちに体得しているのではないか。つまり、ことばに「引っかかり」を覚えることなく日々を過ごしているのだ。そうなると、ことばには触れるものの、そのことばを自身のものとして血肉化できない。

携帯電話の普及、核家族化、SNSの隆盛も子どもたちから語彙を奪っている。

そこで飛び交うのは「内輪の言語」。第三者を意識し、ことばを丁寧に紡ぐ作業は求められていない。また、お年寄りをはじめとした「他者」とコミュニケーションを図る機会が激減した結果、手持ちの慣用表現が少なくなっているというデータもある。

さらに、グローバル能力の涵養が叫ばれていて、小さなころから「英語学習」に力を入れるのは悪くはないにしろ、それによって肝心な母語の学習機会が奪われることも考えられる。とにもかくにも、子どもたちを取り巻く環境は語彙習得の機会を阻害するものだらけであるように見える。

前出・普連土学園の谷田貝先生は溜息をつく。

「以前は、子どもたちが分からないことばにぶつかると、すぐに自分でその意味を調べていたものです。しかし、昨今は子どもたちが分からないことばに出あうとそのまま放置してしまう。たとえば、漢字であれば『パソコンで変換すればよい』などと思ってしまうのかもしれません。また、LINEのスタンプをはじめ、表現や発信の手段が多様化しているから、『ことばが面倒』と感じてしまうのかもしれません。それだから、ことばと意味がちゃんと結びつかない子が多いのでしょうね」