アメリカと個別交渉して勝てる戦はない

公約通り、トランプ大統領はメキシコ国境に壁を造る大統領令に署名したが、メキシコに対する認識もまるでずれている。メキシコからの不法移民は大幅に減っていて、食い詰めてメキシコ国境を不法に越えてくるのは中南米の人々が多い。メキシコは1人当たりGDPが1万ドル後半の立派な中流国であり、成長率も高い。アメリカとの貿易不均衡も誤差の範囲でしかなく、むしろ不法移民を含めたメキシコの巨大な低賃金の労働力がアメリカ経済を下支えしている。(1100万人とも言われる)不法移民を国外追放するという大統領の公約が実現したら、メキシコ国境近辺の繊維などの労働集約型工場は軒並み閉鎖に追い込まれ、各方面で深刻な人手不足が起きるだろう。

トランプ大統領の排外的な経済政策が誘発することは2つ考えられる。1つはコストプッシュインフレである。トランプ大統領は中国に45%、メキシコに対しては35%の輸入関税を課すと言ってきたが、それは当然、国内物価の上昇というかたちで跳ね返ってくる。中国やメキシコの製品は生活関連用品が多いから、プア・ホワイトなどトランプ支持層の生活を直撃する(アメリカの場合、中間業者が悪辣で、輸入価格が45%上がると末端価格まで45%上がる)。

もう1つは、TPP(環太平洋経済連携協定)離脱やNAFTA(北米自由貿易協定)の見直しで、各国と個別に交渉していくとなれば、アメリカと世界のフリクションはいやが上にも高まる。

アメリカは自由貿易の拡大を国是としてWTO(世界貿易機関)などを通じてリーダーシップを発揮してきた。TPPやNAFTAのように複数の国が参加する多国間協議となれば、各国の利害が絡み合うから、合意を取り付けるためにアメリカも自分の都合だけを押し付けるわけにはいかない。しかし、2国間の個別交渉となれば話は別だ。アメリカは相手の事情などお構いなしにエゴを剥き出しにしてくる。しかも交渉相手のトランプ大統領は幼稚園レベルの経済理解だから、理屈も通じない。TPPごときで文句を言っていた日本の産業界、農業関連の業界は目も当てられない状況に追い込まれるだろう。私は日米貿易戦争を間近で見てきたが、日本が勝った交渉事は一つもない。日本の政治家や役人が前に出てうまくいった事例は皆無なのだ。アメリカとの個別交渉においては日本が一方的に屈してきたのだ。そういう時代に再び足を踏み入れたことを覚悟したほうがいい。

(小川 剛=構成 大橋昭一=図版作成)
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