日米貿易不均衡がピークだった1980年代、米クライスラー社の会長だったリー・アイアコッカは「イエローペリル(黄禍)」と呼んで日本車の大バッシングを展開した。「アメリカのクルマが日本車に負けている理由は、奴らがチープレイバー(安価な労働力)を使って、公害を垂れ流してクルマをつくっているからだ」と訴えて、日本車に対する関税や数量規制を政府に求めたのだ。一方で破綻寸前だったクライスラーを立て直したことでも名声を高めて、一時は業界の英雄アイアコッカを大統領候補に推すムーブメントまで巻き起こった。

トランプ大統領を現代版のアイアコッカと考えるとわかりやすい。アイアコッカの主張には真実の欠片もなかった。日本の労賃は当時すでにアメリカの自動車業界とそれほど変わらなくなっていたし、世界で初めてホンダがマスキー法(アメリカの超シビアな大気汚染防止法)をクリアするなど公害対策はむしろ日本の自動車会社のほうが進んでいた。そもそもクライスラー復活のカギは三菱自動車がOEM供給していたクルマ(ダッジ・チャレンジャー)が売れたからで、クライスラーこそが日本車の最大の輸入業者だったのだ。しかも自社生産工場はデトロイトから川一つを渡ったカナダ側にあって、国内雇用には貢献していなかった。

同じようにトランプ大統領の発言も嘘と思い違いの連続だ。トランプ政権の貿易政策を担当する新設の国家通商会議のトップに起用された経済学者のピーター・ナヴァロ氏は台湾ロビーの代表格で対中強硬派である。『Death by China』という著作や動画まである。要するにこのままではアメリカは中国に殺されるという内容の本で、かつての「黄禍論」の中国バージョンなのだ。トランプ大統領は中国がアメリカの雇用を奪っていると主張してきた。アメリカの中国からの輸入額は年間50兆円ほど。対中輸出が約10兆円だから、40兆円ぐらいの貿易不均衡があるのは確かだ。しかし内実を見ると、米国企業が中国でつくったモノを輸入しているケースが非常に多い。それからウォルマートやコストコのような流通大手が中国に巨大な購買部門を置いて、安くて良い商品をアグレッシブに調達している。当時の日本と違って、中国には(ソニーやホンダのような)自力でアメリカに売りまくる力を持った企業はまだ出てきていない。アメリカの雇用を奪っているのは中国企業ではなく、中国でビジネスを展開する米国企業だ。トランプ大統領が文句を言うべきは国産に見向きもしないで、海外の最適地から安易に調達してくる国内メーカーであり、ウォルマートやコストコなのだ。

そもそもアメリカの失業率は今や5%を切って完全雇用に近い。むしろ人手が足りなくてレストランなどは経営が成り立たないくらいだ。仕事にあぶれているのは中西部などの「プア・ホワイト」で、彼らはいわばアメリカ国内の競争に敗れた人たちだ。世の中の進化に対して勉強し直したり、新しいスキルを身に付ける努力をしない人たちが失業してゴーストタウンになった街に滞留している。トランプ大統領を熱狂的に支持したのはそういう人たちで、いくら中国やメキシコを叩いて新しい雇用を生み出しても彼らは救えない。