原爆被害者はやっぱり謝罪が欲しかった

過日、アメリカのオバマ大統領が被爆地の広島を訪問した。もちろん謝罪の言葉はなかったけど、日本人はオバマ氏の訪問と核廃絶に向けての演説に拍手大喝采。オバマ氏は他方で核兵器の近代化に向けて30年にわたって120兆円の計画を承認しているのにね。核廃絶というきれいなフレーズで拍手大喝采を受けて、実際は核近代化のための途方もない予算の承認。これがオバマ政治を象徴している。それでもメディアや自称インテリはオバマ氏のきれいごとを大絶賛するんだよね。

広島平和記念公園

それに対してトランプのおっちゃん。核兵器を強化する!! とはっきりと言っちゃった。そして当然、自称インテリからは猛批判を受けている。でもオバマ氏も核近代化は認めたんだよ。それをトランプのおっちゃんは、正直に言っただけ。

しかもトランプのおっちゃんは「世界が核に対して良識を持つまでは」と前提条件を付けている。これは「核廃絶をやるには世界同時にやるしかない」という意味なのか。そのような意味なら正しい。

元へ。謝罪はせずに未来志向の和解をするというのが欧米の流儀らしい。

でも僕は、これこそポリティカル・コレクトネスの最たるものだと感じる。戦争で被害を受けた遺族や被害者が生存している間、またその遺族や被害者の感情が残っている間は、やはり政治指導者は、彼ら彼女らに対して謝罪をすべきだと考える。未来志向のきれいなフレーズよりも、遺族や被害者の心情に響く泥臭いメッセージこそが政治家の発するべきメッセージだと思う。

広島の原爆被害者のある一人は、オバマ氏の演説に拍手を送ったらしい。ところが後日、その演説の和訳を見ると、原爆を落としたのはアメリカであることは厳然たる事実なのにそこには全く触れず、「空から死が降ってきた」という文学的表現の演説であったことが判明した。そのことで被害者のその人は、オバマ氏の演説を評価したことを後悔したという。

被害者としてはやっぱり謝罪が欲しかったんだよね。

未来志向だ、と格好をつければ謝罪は不要となる。しかし遺族、被害者の心情を汲み取れば、少なくても当該国の指導者は謝罪をすべきだろう。もちろん政治的指導者ではない国民が、謝罪を続ける必要はない。

政治家って、国民に代わって泥を被るのが一番の仕事なんだ。戦争に至る事情、そこに正義があるかどうかはともかく、多くの人命が奪われたことは事実。そして、その人命の裏には必ず嘆き悲しむ家族や友人がいる。ゆえに、過去の戦争で世界各国の多くの国民が悲しんだことは間違いないんだよね。

僕も家族を持って、子供の命が奪われることの悲しみがどういうものかを、現実のこととして認識できた。正直、子供を持つまでは想像の域を超えていなかった。今の時代と戦争当時とで家族の悲しみに大差はないはずだ。ゆえに、どういう理屈で戦争を正当化しようが、遺族、被害者に誰かが謝罪をしなければならない。そしてその役割を果たすのは、政治家しかいない。

国民の間には戦争に対する思いは色々ある。正義を感じている人も多いだろう。でも未来永劫にわたって、過去に対する憎しみを持ち続けることは決してプラスにならない。国民と国民との間では、過去の憎しみ等を切り捨て未来に向けての和解ということが重要になるので、謝罪し続けることはむしろマイナスになる。

だからこそ、本来やらなければならない遺族、被害者への謝罪という行為は、すべて政治家が担うべきだ。まあこれは、加害者の代理人となる弁護士的発想だけどね。

そのような意味で、オバマ氏による広島訪問と同じく、安倍晋三首相の真珠湾訪問においても、遺族や被害者に向けた謝罪の意は表してもらいたい。そして国民においては、未来に向けての和解を呼びかける。日本の行為も当然、正当化できないが、アメリカの非道な行為についてもきちんと総括し謝罪してもらう。そのことによって世界の秩序が生まれる。

まあ、こんなことは僕は政治の外野に身を置いているからこそ無責任に言えることだけど、政治指導者とはそうあるべきだと考えるのが、僕の歴史認識と政治家論だ。

安倍首相は謝罪抜きの未来志向の和解というメッセージを真珠湾訪問で発するつもりだ。これは強烈だ。しかも中国・韓国に対しての強烈な牽制になる。中国・韓国からは常に謝罪を求められてきたが、その関係を終了させようと考えているのだろう。日米において謝罪はない。中国、韓国はずっと謝罪を求めるの? と。

これは歴代首相が挑戦すらしなかった大戦略であることは間違いない。日本国民が謝罪の呪縛から解き放たれる道を開いたのは、安倍首相の外交の賜物だ。

しかし僕は、むしろ日米の政治指導者がともに謝罪を示す方が、世界秩序に貢献すると考える。ルールを守らせる規範力は、違反行為を取り締まる警察力によって担保される。しかし国際社会には国際ルールを守らせる「警察」がない。国連が建前上あるが、国連が国際社会の警察になり得ていないことは厳然たる事実だ。

とすれば、国際ルールは、違反した世界各国が自らその違反を認め、その際にきっちりと謝罪をすることの積み重ねでしか、ルールの規範力は保てない。

国民に謝罪は求めないが、政治指導者が遺族や被害者の心情を汲み取り、そして国際ルールの規範力を高めるために、きっちりと謝罪をする。青臭い理想論だろうが、これが僕の政治家論だ。そういう意味で、オバマ大統領の広島訪問や今回の安倍首相の真珠湾訪問において日米の指導者が謝罪の意を発して欲しかった。

※本稿は、公式メールマガジン《橋下徹の「問題解決の授業」》vol.36(12月27日配信)からの引用をベースにしたものです。全文はメールマガジンで!!

(撮影=市来朋久)
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