朝日新聞もやっと「当たり前」に気づいた?
民主主義には問題はたくさんある。でも専制エリート政治とどちらがましなのか。答えは一目瞭然だよね。
民主主義と専制エリート主義を考える上で、昨年のNHK紅白歌合戦の結末は良い教材だね。視聴者や一般来場者による投票では、圧倒的多数で白組の勝ち。視聴者レベルでは、なんと168万票もの大差がついた。白組420万票に対して、紅組はわずか252万票。この段階で、誰もが白組の勝利を確信しただろう。
ところが紅白の玉入れからボールを出したら、紅組の勝利。これは僕だけじゃなく全視聴者がびっくりしたんじゃないの? 出演者もびっくりしていたと思う。びっくりの後は、後味の悪い不可解さ。
このような結果になったのは、会場審査員に与えられた決定権が異常に重かったからだ。だって、700万人近い視聴者に対してボール2個、2000人強の一般来場者に対してボール2個の割り当てなのに、会場審査員は10人に対してボール10個だよ(ほかに47人の「ふるさと審査員」に1個)。しかも会場審査員には、音楽の専門家など音楽批評に信頼のおけるメンバーがそろっていたかというと、そういうわけでもない。
なぜ数百万人もの視聴者の評価と、10名ほどの会場審査員の評価にこれだけの重みの違いを付けるのか、感覚的に理解ができない状況だった。少数者で決めるというのはこういうことなんだよね。これが専制エリート主義。
やはり日本の国民の教育レベルの状況では、国民の多数意思によって決めることの方がまだましだ。一部の人間だけが突出して能力を持っているわけではない。――あの結果を見て、多くの人はそういう認識を抱いたんじゃないかな。去年の紅白歌合戦は、やはり「白組優勝」がしっくりくる。これをポピュリズムだと批判したところで、そもそも民主主義は多数意思によって決定するもの。それなのに多数意思で決めることをポピュリズムだからダメだ、と批判することは民主主義の否定そのものだね。
多数意思で決められた決定をポピュリズムだと批判するのではなく、多数意思で決まったことは尊重することを前提に、それがよりいい決定になるように具体的にやり方を工夫していく姿勢が、民主主義を深化させるポイントだね。
民主主義の本質である多数決自体に、ぶつぶつ文句を言い続ける朝日新聞でさえ変化の兆しがうかがえる。三が日があけた1月6日の記事だ。
世界の紛争地域で平和構築のための活動をするNGO職員、瀬谷ルミ子さん(日本紛争予防センター理事長)のインタビュー記事。元兵士に職業訓練などをしている。この瀬谷さん、平和を祈るだけでは世界は救われない、現実に平和を築く行動が必要と説く。そして、自国の平和のためにも、世界の平和を考えなければならないと結ぶ。この言葉は重いね。
そして記者の取材後記では、「平和を祈る」という意識から「平和を築く」という意識への切り換えが必要だとまとめていた。その通り!! 国際情勢がどんどん変わる中で、朝日新聞もやっとこのような当たり前の思考にたどり着いたか。
※本稿は、公式メールマガジン《橋下徹の「問題解決の授業」》vol.37(1月10日配信)からの引用です。全文はメールマガジンで!!