荒川が改革を断行し、津谷が磨きをかけた
リコール問題は、グローバル化を進めるにあたって様々な課題を見つける契機となった。課題克服のための構造改革は、06年に就任した荒川詔四前社長の時代に本格化した。
荒川は、巨大グローバル企業の経営体制の最適化を図る、大胆な組織編成を断行した。その結果、ブリヂストンの経営体制は製品ごとの縦割りを改め、グループ全体の方針をGHO(グローバル本社機能)が打ち出し、それに従ってGMP(グローバル経営プラットフォーム)が人事、財務などの機能を持って、6つのSBU(戦略的事業ユニット)と連携しサポートする現在の姿となった。SBUとは、世界で展開する事業を「日本」「米州」「欧州・ロシア・中近東・アフリカ」「その他(中国・アジア・大洋州)」の地域で区切った4つと、グローバルソリューション事業、化工品事業の計6事業体に分け、各事業体に大幅な権限を持たせた仕組みのことだ。これで各地域、各事業がエリアごとの特性に沿った事業内容を自ら計画し、速やかに実行できるようになった。
さらに11年、荒川は企業理念をグループ全体で統一し、浸透させる取り組みも行った。まず、新たな企業理念の検討について、グローバルなワーキングチームで一から議論を重ねたところ、日本マインドを重視することで一致。創業者、石橋正二郎がつくった社是「最高の品質で社会に貢献」をミッションとし、その使命を果たすために、「誠実協調」「進取独創」「現物現場」「熟慮断行」の4つの心構えを挙げてきた。しかも「読み方は日本語のままで浸透を図りたい」と海外のスタッフが望んだ。こうして世界に散在するグループ社員が共通の価値観を共有し、一体感を高める効果が生まれた。
12年、荒川の後を継いで津谷がCEOに就任してからは、14年に世界の各エリアブロックの責任者など14人で構成するGlobal EXCOを設置し、重要な課題を各国各事業のリーダーが顔を突き合わせて議論する枠組みを設けた。ボードメンバーは3カ月に1回集まり、英語で白熱した議論を重ねている。
さらに津谷は、ブリヂストン史上初のツートップ体制を敷いた。経営戦略畑が長い津谷と、技術畑出身の西海和久COOとで重要な案件を2人で議論して意思決定を行っている。「人間って間違うんです。私も、西海さんも、やっぱり間違う。だからチェック・アンド・バランスができるよう、2人体制でやろうということです」(津谷)。