岩崎弥太郎:1834~85。56年、少林塾に入塾。69年、九十九商会設立。72年、三川商会設立。73年、三菱商会設立。74年、三菱蒸汽船会社設立。

「謎」の6年間に悪事をしていたのか

近代日本とともに歩んだ「三菱」
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近代日本とともに歩んだ「三菱」

弥太郎は迷っていたと思う。私がそう考える根拠のひとつは、彼が後藤象二郎に宛てた手紙に、「何とか東京に出たい」「自分には別の夢がある」ということを繰り返していることである。「別の夢」がなんであるのか具体的にはわからないが、東京に行くとすれば、新政府に官職を得ることが先ず思い浮かぶ。

面白いことに三川商会のときにも、弥太郎は自分を代表者にしてない。代表として名前があるのは川田小一郎と、石川七財と、中川亀之助。3人とも川の字が付くために、三川商会を社名としたという言い伝えがあるほどだ。