2007年度の決算で5期連続の増益を果たした商船三井。その礎は、プラザ合意後の円急騰時代に築かれていた。支配船数世界一を誇る同社の「超グローバル経営」に迫る。
上海は、冬から春にかけて霧に包まれる。中心街から北へ30キロ。揚子江河口の岸壁から突堤が乳を流したような河中へのびている。河畔には中国国営の製鉄会社「宝山鋼鉄」の高炉がそびえる。中国経済の心臓部だ。日夜、大河に浮かぶバース(停泊所)に着いた船から突堤を伝って鉄鉱石が陸揚げされている。
1月のある日、濃霧で港が閉ざされ、多くの船が沖合に滞った。ブラジルから17万トンの鉄鉱石を運んできた商船三井のバルカーは、やっと宝山に近い羅涇港に接岸し、陸揚げにとりかかった。
商船三井は、基本的に東京本社が現地法人をコントロールしている。中国現法はコンテナ船、鉄鉱石船、自動車専用船などそれぞれの担当ごとに荷主とかかわる。船の入出港に関する業務は荷主側の代理店が担っており、天候異変には東京、現法、港の代理店が連携して対応する。
この日、商船三井中国の花崎泰司マネージャーに東京から電話が入った。
「港湾の管理当局が船長に次の満潮で出航するよう告げてきた。たくさんの船が港外で待機しているので、早く出ろとせっついている。うちの船にはまだ荷が数百トン残っているらしい。ここで港を出たら大変なことになる。折衝を頼む」